拡大する写真・図版 「証言」(旧「長崎の証言」)創刊号(左)と昨年刊行された最新号

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ナガサキノート:「のこす」の現場【1】
戦後74年。被爆者の高齢化が進む中、その体験を後世につなごうと奮闘する人たちがいる。さまざまな「のこす」営みの現場を訪ねた。

 きょうは、どんな話が聞けるだろう――。

 ノートを取り出し、ボイスレコーダーの電源を入れる。「家はどちらかなと思って」。長崎に原爆が落とされる前の復元地図を広げ、当時の記憶をたどっていく。

 被爆証言集の刊行を続ける「長崎の証言の会」事務局長、森口貢(もりぐちみつぎ)さん(82)は7月上旬、爆心地から1キロほどの三菱兵器大橋工場で被爆した安日涼子(やすひりょうこ)さん(88)の聞き取りをした。会に寄せた手記を元に詳しく聞きだしていく。

 「母は38歳でした」。原爆投下前夜、疎開先から長崎市浜口町の自宅に戻って被爆死したという安日さんの母親に話題が及んだ。森口さんは表情を曇らせ、声を詰まらせながら相づちを打った。

 終戦後まもなく、疎開先の佐賀県から長崎市に戻った森口さんは聞き取りをしながら当時の光景を思い出す。列車の窓から見た荒野。むしろを垂らした防空壕(ごう)で暮らす家族。死者を荼毘(だび)に付した跡に残った、校庭の木くずやトタン板……。相手と思い出話をして一緒に懐かしみ、悲しむ。「証言を取るのが目的だけど、思い出話を通して心に迫れる気がするんです」

75冊、9日でちょうど半世紀

 会は半世紀にわたり被爆者の証言を書き留めてきた。年1~4回発行する証言集は昨年で75冊に。体験を聞き取った人は1千人超。現在は森口さんら被爆者世代を中心に十数人が編集に携わる。9日でちょうど創刊50年を迎える。

 きっかけは厚生省(現・厚生労働省)の1967年の調査報告だ。「健康・生活の両面において、国民一般と被爆者の間には著しい格差はない」。この発表に反発し、のちの長崎総合科学大教授、鎌田定夫(かまたさだお)さん(2002年に72歳で死去)らが被爆者への健康調査を手弁当で進めた。続いて始めたのが証言の記録活動だ。「被爆体験を通して反戦、反核を訴えるのが最大の狙い」と森口さんは創刊の趣旨を語る。

 現編集長の山口響(やまぐちひびき)さん(43)は同会の特徴を「外に対して開かれた性格を持つ」と説明する。職場や学校といった単位で被爆体験をまとめた書物は少なくない。これに対し同会の証言集は、一般の市民なら誰でも、原爆に遭った体験を寄稿や語りで残すことができる。

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