拡大する原爆で破壊された長崎・浦上天主堂。1973年に返還された米軍撮影のカラー写真
昨年、先輩記者から辻本正義(つじもとまさよし)さん(84)を紹介された。辻本さんは西浦上国民学校(現・西浦上小)5年だった10歳のときに、爆心地から約1キロの長崎市西郷(現・油木町)で被爆。昨年夏に長崎原爆被災者協議会が開いたイベントで、初めて人前に出て被爆体験を話した。
なぜ今話そうと思い立ったのだろうと関心を抱き、現在も油木町に住む辻本さんを記者は訪ねた。快く迎え入れてくれた辻本さんだが、話題が戦争のことに向かうと表情が曇った。「あれは本当に悲惨やった。原爆の話はしとうなか」
母校は原爆で校舎が全壊するほどの被害を受けた。あの惨禍について十分に調査され、継承されているのか、という思いを抱き続けてきた。もう自分のような悲しい思いをする人を生まないため、少しでも当時の記録を後世に残そうとの思いで語り始めたという。それでも、当時を振り返るとつらくなる。辻本さんは複雑な葛藤を抱えながら、少しずつ自分の体験を語ってくれた。
拡大する辻本正義さん=2019年6月3日、長崎市油木町
辻本さんは、6人きょうだいの…
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