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 27年前の自分を、じっと彼女は見つめた。

 泳ぎ終えた14歳の自分が、画面の向こうで水面から顔を上げている。目を丸くして、電光掲示板の順位を何度も見返す。

 41歳になる岩崎恭子は、その姿に少しだけ、ほおを緩めた。

 「本当にびっくり、の顔。どんなにすごいことをしたのか、この時はまだ理解できてなくって」

 この春、1992年バルセロナ五輪女子200メートル平泳ぎ決勝の映像を見ながら、岩崎にインタビューした。

 このレース直後。14歳の金メダリストは、あの言葉を紡ぐことになる。

     ◇

 27年前にさかのぼる。五輪開幕から10日ほど前のことだった。

 競泳の日本代表は、レースの舞台を視察に訪れていた。街を一望できるモンジュイックの丘にあるプールに抱いた印象を、岩崎は家族にあてた手紙に、こうつづった。

 「プールが、すごく小さく見える」

 野球で好調な選手が「ボールが止まって見える」と話す感覚に似た状態だったのかもしれない。この時、静岡・沼津五中の2年生が、日本選手で五輪史上最年少となる優勝を成し遂げるなど、誰も想像できていなかった。

 本番の7月27日。モンジュイックの丘に注ぐ太陽の光は南欧の夏らしく、肌に刺さってきた。

 空気が変わったのは午前の予選だ。自己ベストの2分31秒08、日本記録2分29秒91の更新を岩崎はめざしていた。結果は2分27秒78。目標を大幅に超えた。隣を泳いだ優勝候補で2分25秒35の世界記録を持つアニタ・ノール(米)に100分の1秒差と迫った。

 予選2位で決勝へ。にわかに慌ただしくなる周囲をよそに、岩崎は満足感に浸っていた。「目標も達成できたし、『もう、いいや』って」。元々、無印の存在。「五輪という大会の重みも知らず、メダルを取りたいという欲もなかった」

 胸中を見透かされたか、ヘッドコーチの鈴木陽二(69)に声をかけられた。「もう1回(決勝を)泳ぐんだからね」。気持ちを入れ直したが、緊張はなかった。いったん選手村に戻って仮眠した後、軽食を取った。おにぎりを他の選手の分までほおばった。

 決勝前の集合場所。予選では目もくれなかったノールが話しかけてきた。「グッドラック」。14歳を牽制(けんせい)したのだろうか。そんな駆け引きが、岩崎はうれしかった。「私、世界記録保持者に意識されているんだ」

 午後7時35分、スタート台に立つ。「日差しが和らいできた」と感じられる余裕があった。5歳で水泳を始め、初めて心臓がドキドキ鳴る音が聞こえた。それも前向きにとらえられた。「ちゃんと聞き取れるほど、集中できている」

 号砲。苦手の飛び込みで出遅れても気にしない。予選とは逆側の隣を泳ぐノールを徐々に追い上げる。50メートルのターンで6位、100メートルで3位。後半のスパートには自信がある。

 「一回一回、壁を蹴るように前に進んだ。ぴょーん、ぴょーんと、おもしろいくらいに」。残り5メートルでノールをとらえた。最後のタッチでかわす。2分26秒65。予選の記録をさらに1秒以上、大会前の自己ベストを4秒43も縮めた。

 水の抵抗をどこまで避けられるか、が平泳ぎの鍵。157センチ、45キロの小柄な体を強みに変え、しなやかなフォームで海外勢のパワーに打ち勝った。

     ◇

 あの日の自分を、岩崎は「今風に言えば『ゾーン』に入っていたんでしょうね」と振り返った。「あの後、二度と同じように泳げたことはない」とも。

 レース直後。平成のスポーツ史を彩る一言が、テレビインタビューで語られる。

 「今まで生きてきた中で、一番幸せです」

 涙ぐみ、たどたどしい。

 そこまで映像を見届け、現在の岩崎は息をついた。「とにかく何かしゃべらなきゃって、素直に気持ちを表現しただけなんです」

 14歳で発した「今まで生きてきた中で」というフレーズ。脚光を浴びる一方で嫉妬も招き、競技人生は翻弄(ほんろう)されてしまう。現役生活を終えるまで、岩崎は金メダルのレースをまともに見返せなかった。

 「言わなきゃよかったって後悔した時もあった。多くの方々が覚えていてくれる言葉を残せて、今なら、良かったなと思えるけれど」

 そんな彼女の足跡をたどってみる。(中川文如)

■未知の練習量、磨かれ…

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