原爆って?いちから知るQ&A 8月6日に何が起きたか

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 74年前の8月6日、世界で初めて原子爆弾(原爆)が広島に投下されました。原爆の被害とはどんなものだったのでしょうか。改めておさらいします。

Q:1945年8月6日朝、どんなことが起きたの?

A:午前1時45分、原爆を積んだ米軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」がサイパン島の隣島テニアン島にある基地を出発しました。7時9分に先に出発した気象観測機が広島上空に飛来します。市内では警戒警報が発令されました。やがて観測機は去り、7時31分に警報は解除されました。

 次第に近づくエノラ・ゲイ。8時6分に広島県福山市上空で日本軍が敵の機体を発見します。8時13分、軍司令部は機体が西に進んでいるとして、警報発令の準備に入ります。そして、8時15分に原爆は投下されました。

 「閃光(せんこう)が広がった」。このとき市内の学校にいた女性は証言しています。「体に熱いものが走った。そばにいた級友の髪の毛が燃えた」とも語っています。市民たちは何が起きたのかわからなかったそうです。

 爆風と熱線が街を襲いました。熱線は爆心地から600メートル離れた地点でも2千度ありました。爆風から約30分後の8時45分、「火事嵐」が起きました。火災で熱せられた空気が上昇し、まわりから冷たい空気が吹き込んだのです。午前9時ごろには、放射性降下物をたくさん含む「黒い雨」が降りました。やがて火災が広がり、午後にかけて広島市内は猛火となりました。

Q:原爆ってどんなものだったの?

A:原爆はそれ以前の戦争で使われたものよりもはるかに力の強い爆弾でした。原爆や水素爆弾(水爆)は原子核反応というエネルギーを使っており、「核兵器」と言います。世界で初めて核兵器が使われたのが1945年8月6日で、米国が広島市に落とした原爆でした。その3日後の8月9日、長崎市にも落としたのが世界で2回目でした。

Q:どうして日本に落とされたの?

A:日本と米国は当時、太平洋戦争で戦っていましたが、米国は原爆の力を見せつけ、早く戦争を終わらせるために落とした、という見方があります。もし日本が早く降伏すれば、原爆投下は避けられたのかもしれません。一方、すでに日本の周囲の海や空は米国が支配し、沖縄も占領されており、日本の敗戦は決定的な状況でした。広島の原爆は「ウラン235」、長崎の原爆は「プルトニウム239」という物質が使われました。アメリカが2種類の原爆を試したかった、とも言われています。

Q:なぜ広島と長崎に落とされたの?

A:広島が原爆投下の場所に選ばれた理由としては、その時点ではまだ東京や大阪と違って、大きな空襲を受けていなかったことが挙げられます。このため、新しい爆弾の威力を試す候補になり、「リトルボーイ」と呼ぶ原爆が落とされました。広島には日本軍の拠点や兵器を作る工場もありました。

 また、米国は第2の候補地としては長崎ではなく福岡県小倉市(現・北九州市)を予定していました。でも、当日の小倉の上空にもやがかかっていたなどとして、長崎に落としたとされています。

 この時期、米軍はテストのため国内各地に模擬原爆「パンプキン」を投下していました。長崎に落とされた「ファットマン」とほぼ同じ形と重さで、カボチャになぞらえて「パンプキン」と呼ばれました。米軍の記録によると、福島県から山口県までの18都府県に計49発が投下されました。日本の研究者らの調査によると、約400人が死亡したとされています。

Q:原爆で人と街はどうなったの?

A:原爆の被害には、熱線、爆風、放射線の三つがあります。爆発で数十万~数百万度の火の玉ができ、熱線で爆心地付近の温度は3千~4千度にもなりました。爆心地近くでは、熱線を浴びた人のほとんどがその瞬間か数日のうちに死亡し、爆風で建物が倒壊したり、吹き飛ばされたりしました。壊れた家が燃え、逃げ出せずに焼け死んだ人や、体に割れたガラスが突き刺さった人もたくさんいました。

Q:放射線の被害って?

A:原爆の最大の特徴は、目に見えないまま長い時間続く放射線による被害です。けががないように見えた人や爆心地付近に入って知り合いを捜したり、けが人の手当てをしたりした人たちも放射線の被害に遭いました。広島と長崎の原爆では、歯茎から血が出たり、髪の毛が抜けたりする「急性症状」が出ました。その後、がんなどで亡くなる人が多く見られました。甲状腺の機能低下や白内障、心筋梗塞(こうそく)なども多い症状でした。

Q:どれだけの人が被害を受けたの?

A:原爆が落とされた後も被害は続きました。1945年末までに広島では約14万人、長崎では7万4千人近くが亡くなったと言われています。子どもや女性、お年寄りも亡くなりました。その後も放射線の影響でたくさんの人が死亡し、今も不安を抱えている人が多いです。被爆した人には、被爆者健康手帳が配られており、医療費の自己負担分が免除されます。原爆により発症した病気のことを「原爆症」と言います。

 被爆者健康手帳を持つ人は今年3月末で14万5844人になり、過去最少を更新しました。手帳交付は1957年に始まり、ピークの80年前後には37万人を超えました。平均年齢は82・65歳と高齢化が進み、近年では毎年1万人程度ずつ減少しています。都道府県別では広島が6万6025人、次いで長崎が3万8025人。福岡5803人、東京4921人、大阪4798人となっています。

Q:広島や長崎以外に、ほかにはどんな「核」の被害が?

A:米国が1946~58年に太平洋のマーシャル諸島のビキニ環礁などで繰り返した核実験で、島で暮らす人たちや近くの海にいた漁船の船員らが放射線の被害を受けたと言われています。54年には、ビキニ環礁周辺で操業中だった漁船「第五福竜丸」が米国の水爆実験に巻き込まれ、乗組員23人が被曝(ひばく)しました。

 86年には、旧ソ連(現・ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所で原子炉が爆発し、火災が起きました。放出された放射性物質でヨーロッパが広範囲に汚染され、一部は日本にも届きました。高い濃度の汚染地域はウクライナ、ベラルーシ、ロシアにまたがり、避難者は約40万人に及びました。

 日本では、99年に茨城県東海村核燃料加工会社で臨界事故が発生しました。2011年には東日本大震災により東京電力福島第一原発が大きな被害を受けました。放射性物質が漏れ、多くの人が避難する事態が起きています。

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