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 約半世紀にわたって兵庫県尼崎市の大気汚染公害と闘い続け、今年6月末に解散した「尼崎公害患者・家族の会」。その会長として運動を引っ張ってきた松光子さん(87)に9日、尼崎市から特別表彰が贈られた。

 明治時代に工場進出が始まった尼崎では高度経済成長期以降、臨海部の工場群や火力発電所のばい煙、国道43号を走る大型車の排ガスなどによって大気汚染が深刻化。空は常にどんよりと曇り、気管支ぜんそくなど呼吸器疾患に苦しむ市民が続出した。

 「洗濯物を干したらすすだらけになる」「昼間でも自転車のライトをつけないと走れない」「西宮から尼崎に引っ越したら、子どもを連れて医者通いするようになった」――。「尼崎大気汚染公害事件史」(2005)などの書籍には、当時の惨状を語る市民らの証言が記録されている。

 松さんら市南部の住民が、患者の救済を目指して会を結成したのは1971年。まだ幼かった松さんの長男もせき込むようになっていた。松さん自身も慢性気管支炎やぜんそくを患いながら活動を続けた。

 88年には「尼崎に青い空を取り戻そう」と500人近い会員が原告団を結成。関西電力などの大手企業、国、阪神高速道路公団(当時)を相手取り、汚染物質の排出差し止めなどを求めて神戸地裁に提訴した。

 以来、法廷闘争や和解後の協議で住民の先頭に立ち、国側とわたりあってきた。阪神高速神戸線と湾岸線に料金格差をつけて大型車を湾岸線に誘導する「環境ロードプライシング」など、国側に環境改善策の継続を約束させる合意書を交わし、ようやく協議を終えたのは2013年。その後も会員同士の親睦活動などを続けてきたが、会員の高齢化を理由に今年6月で会を解散させた。

 会の結成から48年。かつて2千人を超えた会員の多くは他界し、解散時点で100人ほどに減っていた。松さん自身も、国側との協議が続いていた11年に長男をがんで失った。

 今回の特別表彰で、尼崎市は松さんの活動を「環境行政と公害病認定患者らの救済に多大な貢献をした」と評価。市役所で稲村和美市長から表彰状を受け取った松さんは、「50年、ようあきもせんと……。関西人特有のしつこさかな」と人生の大半を費やした活動を振り返った。

 その上で「うちらが小さいときの尼崎は海や川で泳げたし、身の回りにトンボもコウモリもいた。そこまで戻すのが無理でも、子どもが自然の中で遊べるような場所をもっと増やしてほしい」と、生まれ育った街への思いを語った。(宮武努)