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 神村学園は12日、高岡商(富山)との2回戦に臨み3―4で惜敗した。先制、追加点を許し、四回までは完全に抑え込まれる苦しい試合展開。中盤以降、次第に打線のタイミングが合い始め、最終回には相手の死球や失策に絡め、1点差まで詰め寄った。意地を見せた土壇場の粘りに、甲子園の観衆から大きな拍手が送られた。

母思い、野球で戻った故郷 三田拓輝君

 3点を追う九回。神村学園が1点を返し、なお2死一、三塁。代打が告げられ、井上泰伸君(2年)が打席に向かった時だ。

 「ここで打てなくてもお前のせいじゃない。思い切っていけー!」。三塁コーチャー三田拓輝君(3年)が大声で叫んだ。

 井上君は中前安打を放ち、三塁走者がホームイン。1点差まで迫った。2万を超す観客がわいた。

 三田君が生まれ育ったのは甲子園から自転車で約15分の街。高校野球ファンの母育子さんの影響で小5で野球を始めた。地元クラブでレギュラー入りするほどだったが、熱が入らず中1でやめた。約2カ月後、母が再びクラブ入りを申し込み、仕方なくもう一度始めた野球だった。

 周囲のすすめで神村学園に入学。鹿児島県に着いたとき「山ばっかやん」。全国から甲子園を目指し集まった部員は約60人。「背番号もらえるのか」。2年までレギュラーに選ばれたのは1度だけ。塩田将孝部長から「メンバーに入りたかったら一番最後まで練習しろ」と活を入れられた。

 厳しい寮生活に、何度も家に帰りたくなった。故郷を思うと、いつも甲子園がよぎった。スマートフォンの待ち受け画面は2年前、神村学園が県大会で甲子園行きを決めた場面にした。

 「くさらず頑張って。帰省じゃなく、野球で甲子園に帰ってきてね」。母の手紙を寮のベッド脇の壁に張った。努力は実り、春の大会からベンチ入り。甲子園に野球で帰ってきた。

 チームは惜しくも敗れた。試合後、母に何を伝えたいかと問われ「打席に立っているところ見せたかったけど……」。ふいに言葉が途切れた。そして間を置き、こう続けた。

 「『野球を続けさせてくれてありがとう』ってまずは言いたいです」(合田純奈、井東礁)