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 熊本工の主将、梶原凌介君(3年)は背番号17の控え選手。プレーで引っ張れないことに悩んだこともあったが「嫌われてもいいけん、しっかり指示しろ」と言ってくれた父の言葉を力に変え、その背中で110人の部員をまとめあげた。

 「牽制(けんせい)に注意な!」「追いつけるぞ」。14日の関東一(東東京)との試合中、一塁コーチャーとして、声をかけ続けた。

 昨年12月。その年最後の練習が終わった後、前の監督に告げられた。「主将はお前だから。考えとけよ」

 大分県出身の梶原君。野球をやっていた父の弘記さん(47)の影響で、物心ついたころからボールを触っていた。いまでこそ2人でバッティングセンターに行く仲だが、大好きな野球を覚えてほしくて、弘記さんは一人息子に厳しかった。

 梶原君が憧れたのは、元メジャーリーガーのイチローさん。打撃でも守備でもそのスタイルをまねした。真面目に努力を続ける人間性にひかれた。起きてすぐにストレッチをしていることを知れば、すぐに取り入れてみた。中学生のときは一番打者で主力だった。

 屈指の伝統校で自分の技術を磨きたいと熊本工への進学を決めた。厳しかった弘記さんも、大分を離れるときには「悩んだら何でも相談していいんだぞ」と言って、送り出してくれた。

 入部当初、部員は全体で約110人。同級生だけでも40人いた。練習は厳しく、中学時代とは比べものにならないほどスタミナが求められた。練習についていくのがやっと。なかなか背番号はもらえなかった。

 そんな中で、主将に指名された。下宿先に帰り、普段はめったに電話しない弘記さんに電話をかけた。「優しい性格なので、やれるのか」と思った弘記さんは「指名されたからには、熊工の顔として、引っ張っていかなきゃならんぞ」。

 控え選手が大所帯のチームをまとめるのは、想像以上に大変だった。レギュラーの練習内容がわからないうえ、ノック一つとっても、控え組とは違った。練習でボール拾いをしなかったり、ダラダラと動いたりする控え選手もいた。「一部の選手のやる気のなさが、チームに影響する。練習姿勢は大切にしよう」。そう梶原君は訴えたが、「レギュラーだけでもチームは成り立つだろう」と反発されたこともあった。

 ある日の練習後、弘記さんに電話で悩みを打ち明けた。大分の臼杵高校で硬式野球部の副主将を務めていた弘記さん。「お前がしっかりせんと皆ついてこん。嫌われてもいいけん、しっかり指示しろ。それが主将ってもんだ」と励ました。

 弘記さんは「伝統校、熊工の重圧があったのだろう。『甲子園しかない』といって、ひたすら自分ができることを考えていたから」と振り返る。

 梶原君は今春には17の背番号をもらった。だが県大会での出番はなし。他チームでは、主将が主軸を担っていることが多かった。「プレーで引っ張りたい」と思うこともあったが、勝つためにはそれが難しいことも自覚していた。練習の声かけだけでなく、グラウンドに落ちている石やごみを拾った。野球とグラウンドに対する敬意を率先して払うことを心がけた。

 厳しい言葉を口にするときには、父の言葉を思い出した。「主将はそういう立場。やらんといけんわ」と口に出し、自分を奮い立たせた。同級生でエースの林彪太郎(こたろう)君は「あいつが率先して行動する背中を見せてくれて、チームがまとまった」。田島圭介監督も「とにかくまじめで、献身的に支えてくれる」と言う。

 この日、強豪の関東一を相手に粘りを見せたが、惜しくも敗れた。主将として指示を出す姿に弘記さんは「チームの中での自分の役割を果たせるようになった。小さい頃からの夢だった甲子園で、最後までよく頑張った」と目を細めた。

 試合後、スタンドから届く声援を体で感じたという梶原君は「ベンチ外の選手たちも全力で応援してくれた」と笑顔を見せた。

 ずっと支えてくれた弘記さんには、感謝という言葉しかないという。「まじめに取り組むということはできたと思う。甲子園でプレーできなかったので、大学の野球部でスタメンになって、その姿を見せられることができたらいいな」(大木理恵子、合田純奈、棚橋咲月)