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 第101回全国高校野球選手権大会に出場した明徳義塾は2回戦で智弁和歌山(和歌山)に1―7で敗れ、姿を消した。連覇が途切れた昨夏の高知大会以降、大きく成長したチームの戦いぶりを振り返る。

 「史上最弱」「能力はない」。今年のチームについて馬淵史郎監督の口からたびたび漏れた評価だ。昨年まで3年連続でプロ野球に進む選手がいたが、今年は全国的に名の知れた選手は一人もいなかった。

 それでも高知大会で優勝し甲子園でも1勝を挙げたのは、新チームが危機感を持って始動したからだ。

 一昨年までは高知大会で8連覇し、甲子園の常連だった。捕手の安田陸(3年)は「甲子園に出るのが当たり前だと思っていた」と話す。前チームはヤクルトに入団した市川悠太を擁して明治神宮大会で優勝し、春の選抜にも出場した。だがそのチームが昨夏、高知大会の決勝で高知商に2―10で完敗した。

 新チーム発足直後、3年生は全員で毎日ミーティングを重ねた。「なぜ勝てなかったのか」。考え続けて出した答えは「下級生と上級生が同じ方向を向いていない」ことだった。

 3年生はまず、これまで下級生に任せきりだった打撃ケージの準備やグラウンド整備など、「雑用」に進んで取り組んだ。指示するのではなく、背中を見せて引っ張った。主将の西田龍生(同)は「支えてあげたいと思う先輩がいれば、自然と勝ちに向かう」。

 2年ぶりに帰ってきた甲子園。2回戦で強打の智弁和歌山に対しチーム力で立ち向かった。先発した新地智也(2年)の直球は120キロ台だが、丁寧にコースを突いて打ち取った。培ってきた伝統の堅守で六回まで無失点に抑えた。

 攻撃では五回に1死一塁から犠打で確実に走者を進め、鈴木大照(同)の適時打で先制した。馬淵監督は中盤までの試合運びについて、「力がなくても、やろうと思えば戦える。高校球児のお手本になるチームだった」と胸を張った。

 だが1点リードしていた七回、魔曲と呼ばれる応援歌「ジョックロック」に後押しされた智弁和歌山打線が爆発した。明徳義塾は外野手の送球が遅れ、内野の失策も重なり1死一、三塁のピンチを招く。

 次打者の打球は打ち取ったかに見えたが、遊撃手の手前でイレギュラーバウンドし、同点の適時打になった。球が浮き始めた新地はその後、3本塁打を浴びてこの回7失点。継投した服部遼馬(3年)が後続をしのいだが、遅かった。

 6点差の最終回。打席に入ったのは徳永快人(同)、有川陸(同)、そして主将の西田。これまで高知大会を含めてほとんど出場機会のなかった控えの3年生だった。馬淵監督は「控えに甘んじた3年生が、一生懸命手伝ってくれた。まじめにやってたからね」と最後に出場させた。甲子園ではベンチ入りの全18選手が出場し、文字通りに「全員で戦った」。=敬称略(加藤秀彬)