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 74年前の9月2日、太平洋戦争に敗れた日本は東京湾上の戦艦ミズーリ号で降伏文書に署名した。国内では8月15日に玉音放送が流れていたが、実はその後も本土の日本軍の一部では戦争継続を狙う動きがあった。当時の少年兵や青年兵には年老いても記憶が残っていた。

 昨年9月に88歳で亡くなった深沢敏男さん=東京都三鷹市=は生前、軍隊での体験を録音していた。長男の孝一さん(54)が文章にし、自伝として2013年に一冊の本にした。その中に、ある「任務」に関する記述がある。

 本の記述や孝一さんによると、敏男さんは1944年8月、14歳で三重海軍航空隊(予科練)に入隊。終戦時は神奈川県の厚木基地にあった第二相模野海軍航空隊にいた。

 厚木では、45年8月15日の玉音放送後も戦争継続を唱える軍人がいた。厚木を拠点にしていた航空隊の大佐が徹底抗戦を唱え、各地で航空機からビラがまかれた。

 敏男さんは、分隊長に厚木に残るよう命じられた。なぜ自分が選ばれたのか、理解できなかった。「特戦隊」として、ほかの分隊から集まった見知らぬ兵士たちと神奈川・北鎌倉に集結したという。

 最年少だったらしく、周囲からは「よく決心したなあ」と感心された。同志たちは遺書を書いたり、「マッカーサーをたたく」と銃剣を磨いたりしていた。マッカーサーとは、連合国軍最高司令官、ダグラス・マッカーサー元帥のことだ。

 上官の命令で東京に住む元軍人の大物右翼に信書を届けた時には「決起するのか、頼んだぞ。信念を通せ。日本のため、天皇陛下のために」と言われた。

 マッカーサー元帥は同月30日…

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