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(16日、高校野球 八戸学院光星7―6海星)

 海星(長崎)の4番、高谷艦太君(3年)は強いチームに憧れて中学進学のときに福岡から長崎へ。美容師の母と二人三脚で甲子園をめざしてきた。16日の八戸学院光星(青森)戦で先取点をあげる二塁打を放ち、自身と、スタンドから見守った母親の夢をかなえた。

 初回、2死二塁で打席が回ってきた高谷君。狙っていた初球の直球を思い切りたたくと、三塁手の横を抜ける適時二塁打に。強打の相手から先取点をもぎとり、チームを勢いづけた。

 高谷君は福岡市中央区のヤフオクドーム近くで育った。好きなチームは福岡ソフトバンクホークス。「勝ったときはドーム内で花火があがり、すごく盛り上がる。そういうのが楽しかった」

 小学生になって軟式野球チームの体験会に参加した。試しに立った1打席でヒット性の球を打ち、野球にのめり込んでいった。

 小4のときに野球チーム「福岡中央リトルリーグ」に入った。九州のマイナー大会で優勝したことはあるが、全国大会には出場できず、「もっと強いチームでプレーしたい」との思いが強くなった。

 自宅から通える範囲に硬式野球部がある中学校は少なかった。小5の冬、先輩が進んだ海星中(長崎市)に母のきよみさん(48)と見学に行った。「練習中の先輩たちの表情がすごく良い。声出しもちゃんとしていた。ここに行きたい」と高谷君。きよみさんも「強くなれそうだね」と応じた。だが同時に「仕事をどうしよう」という悩みも生じた。

 高谷君が2歳の頃から1人で子育てしてきたきよみさん。美容師をしながら生計を立てていた。福岡には、指名してくれる大事なお客さんもいた。海星中には寮もあったが、2人で長崎に引っ越した。「ずっと2人で頑張ろうって生活してきたし、寮に入れても二重生活でお金がかかってしまう」と話す。

 きよみさんは長崎でも美容室で働いた。そんな姿を見てきた高谷君もグラブなどの野球道具は、先輩のお下がりを譲り受けて使った。高校に進学したころ、きよみさんは店長に昇格。朝7時から夜9時まで働いた。高谷君も朝5時に起き、約1時間かかるグラウンドまで路線バスと送迎バスを乗り換えて通った。「長崎に来てもらっているだけでありがたいし、自分からやりたいと言い出したことだから苦じゃなかった」と言う。

 文句一つ言わない息子の姿に、きよみさんは「忙しい自分に気を使っていた。疲れがたまり、心身ともぼろぼろに見えた」。そして思い直した。「子どものために長崎まで来たんやろ」

 子どもが野球をやっていることなどを説明し、息子のために時間がとれるよう別の美容室に移り、パートタイムで働いた。朝晩の送迎のほか、見よう見まねでテーピングを覚え、疲労回復にいい食材を調べては食事に取り入れた。

 長崎大会で優勝が決まったとき、高谷君は真っ先にきよみさんにメダルを見せると「長崎に来て、苦しかったけど報われたね」と言ってくれた。高谷君は「母さんのおかげで野球を続けられた。母さんの方がずっと大変だったと思う」。

 「甲子園で活躍する姿を見せるのが一番の恩返し」。そう思って続けてきた野球。同点のまま迎えた九回、2死三塁のチャンスで打席が回ってきた。外角の球をうまくとらえきれず、右飛で終わった。

 アルプスで見守ったきよみさんは「あんなに泣き虫だった子がここまで来るなんて。本当に夢みたい。胸を張って長崎に帰ってきてほしい」。高谷君は試合後にこう話した。「母さんがいなければここまで来られなかった。ベタだけど、ありがとうと言いたい」(弓長理佳)