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 あと一歩、及ばなかった。大会第11日の17日、鶴岡東は初の8強入りをかけて関東一(東東京)と対戦し、延長十一回の激戦の末、6―7でサヨナラ負けした。選手たちの闘志あふれるプレーに、スタンドからは惜しみない拍手が送られた。

敗北糧に投手陣の柱に 池田康平選手

 同点に追いつかれた七回裏1死二塁、鶴岡東の池田康平投手(3年)がマウンドに向かった。先発の影山雄貴投手(3年)からボールを受け取り、笑顔で言った。「後は任せろ」

 最初の打者を内野ゴロに打ち取り、続く打者は外角の139キロの直球で空振り三振に。ピンチを脱して雄たけびを上げた。

 「もう負けたくない」。昨秋以降の公式戦でチームが敗れたのは2試合。いずれも「自分が投げた試合」と振り返る。その敗北を糧に投手陣の柱に成長した。

 昨秋の県大会。池田投手は準々決勝で先発したが、思い通りの投球ができずにいらだち、力んで甘くなった球を打ち込まれた。二回に集中打を浴びて5失点で降板。「気持ちが先走った」。以来、マウンドでは笑顔で振る舞うと決めた。

 冬場は下半身の強化を徹底。同じ左腕の影山投手と、雪の上を毎日走り込み、体重を5キロ以上増やした。年明けからは新たに縦の変化球の習得にも取り組んだ。すべては「投球の幅を広げるため」だ。

 春の県大会では2試合に先発し、チームの東北大会進出に貢献。東北大会では公式戦で初めて背番号「1」を背負った。だが先発した準決勝で、初回にいきなり2点本塁打を浴び、試合は1点差で敗れた。この敗戦で「一球の重さを思い知った」という。

 そして迎えた夏。山形大会の決勝で、池田投手は九回に3番手で登板。習得したフォークで最後の打者から空振り三振を奪い、甲子園への切符をつかんだ。

 佐藤俊監督は「最も経験豊富で、引き出しの多い投手」。それは敗北を知っているからこそだ。

 背番号「1」を託された甲子園では、3試合ともリリーフで登板。相手に追い上げられても「一つずつアウトを取ればいい」と落ち着きを失わなかった。

 この日、何度もサヨナラのピンチを迎えたが後続を断ち、打線の援護を待った。だが延長十一回裏、直球を右前にはじき返されてサヨナラ負けを喫した。

 試合後、涙は見せなかった。全力だったので悔いはない。それよりも「まだまだこんなところで終われない」。野球を続けて、さらなる高みをめざす決意を新たにした。(西田理人)