【動画】自宅で過ごす田中実子さん=石川春菜撮影
[PR]

 水俣病が確認されてから60年あまりがたちました。海辺に住む幼い子どもたちが同じような症状で病院にかかり、「原因不明の病気」として1956年5月1日、保健所に届けられたのがきっかけです。その一人、田中実子さん(66)は今も水俣市で暮らしています。部屋の中で、話すことも、一人で食べることもできず、24時間の介護(かいご)を受けています。

 水俣市の「坪谷(つぼだん)」と呼ばれる小さな集落で、実子さんは生まれ育ちました。目の前は水俣湾。メチル水銀を含む水が工場から直接流れ込んだ海です。

 実子さんはふだん、昼も夜も、布団(ふとん)が敷(し)かれた居間で過ごしています。同じ場所で、座ったり、ひざ立ちをしたり。じっと何かを見ています。時々「あー」と小さな声をもらしますが、話せません。3歳になる少し前に、水俣病で話せなくなりました。最後の言葉は「くつがはけない」でした。

 幼いころ、実子さんは家の前でとれる小さな貝などが好物でした。水銀で汚されていることも知らず、食べ続けました。56年4月、まず5歳の姉の静子さんに症状が出ました。10日ほど後、実子さんも。2人は市内の病院に入院し、院長先生が保健所に届けて水俣病が確認されました。静子さんは3年たたずに亡くなりました。実子さんも脳の神経が壊れてしまいました。

 実子さんにとって食事は、ひと苦労です。唇(くちびる)を固く閉じているので、ヘルパーさんが口に指を入れてすき間をつくり、スプーンで少しずつ食べ物を入れます。食べ物が入ると実子さんは口を動かします。食べ終わるのに1時間かかることも珍(めずら)しくありません。

 10代のころは笑うこともよくありました。両親が30年ほど前に亡くなってからは、笑顔をほとんどみなくなったといいます。

 布団の横の小さなスペースで、ひざ立ちをしたまま、くるくると回ることがありました。少しずつ足を動かしながら、円を描(えが)くように数十秒かけて1回転。それを何回も繰(く)り返します。回る理由はだれにもわかりません。突然(とつぜん)、後ろ向きに倒(たお)れるので、ヘルパーさんが片時(かたとき)も目を離せませんでした。

 何日も眠(ねむ)れない時があります。2時間くらい眠ったかと思うと目を覚(さ)まし、座っています。姉の綾子(あやこ)さん(75)と、綾子さんの夫の良雄(よしお)さん(71)が看病していましたが、綾子さんは2009年に病気のため体が不自由になりました。12年からヘルパーさんが実子さんの介護に来ています。

 家族には、水俣病の原因をつくった会社のチッソから年金や病院に通うお金などが払われています。患者の家族が裁判をして、チッソと結んだ約束「補償(ほしょう)協定」に基づきます。それでも将来の不安は尽(つ)きません。綾子さんにも水俣病の症状があり、良雄さんも水俣病の患者なのです。

 綾子さんは口ぐせのように言います。「自分たちが先に逝(い)って(死んで)しまったら、だれが実子の面倒(めんどう)をみるのでしょう。罰(ばち)のあたる話ですが、この子が先に逝ってくれればと思うのです」。良雄さんは「最初の患者が、こうして生きていることを知ってほしい」と話しました。