神宮のうどん店主、名選手との記憶 カープ戦は味変えた
神宮球場物語②
ひいきのチームを応援しながら、名物グルメを味わうのも野球場の楽しみの一つ。明治神宮野球場には20超の売店がある。「山田哲人の牛トリプルスリー丼!」「バレンティンMISOラーメン」といった、ヤクルトの人気選手とのコラボ商品も並ぶ。
売店の一つ、うどん・そばの「水明亭」はネット裏の通路にある。かつお節と昆布から丁寧に取っただしが自慢だ。店主の本村律枝さん(77)によると、阪神、広島といった西日本を本拠とするチームが来るときは「濃すぎる」といわれないよう、つゆを少し薄めにすることもあるそうだ。
本村さんと神宮の縁は深くて長い。
初めて訪れたのが1950年代半ばに早稲田大の遊撃手として活躍した兄の応援だったというから、もう60年ほどの付き合いになる。その兄・政治さんは早大野球部OB会の会長も務めた。
郷里の福岡県久留米市で料亭を営んでいた父も、大の野球好きだった。姉が先に上京し、JR信濃町駅のそばにあった学生野球会館の食堂や、球場をふくむ明治神宮外苑内の売店を切り盛りしていた。人手が足りないからと高校卒業後に上京し、手伝い始めた。当時の大学野球は、立教大の長嶋茂雄さんらスター選手が躍動していた。球場は盛況で、うどんが3千杯売れた日もあったという。
もともと水明亭の名は、明治神宮水泳場(2002年閉鎖)の近くに本店を構えたことにちなむ。「水」と明治神宮の「明」を合わせた。1964年の東京五輪を控え、合宿した水泳強化選手たちの食事も世話した。本村さんは本店でも腕をふるい、久留米仕込みのちゃんぽんが名物だった。本店は周辺の再開発のため2018年10月、惜しまれながら閉店した。
神宮でプレーしたプロの選手にまつわるエピソードにも事欠かない。
1960年代初めには、日本ハムの前身・東映フライヤーズが神宮を本拠にしていた。本村さんが所用で球場事務所を訪ねたとき、当時の看板投手、尾崎行雄さんの前に札束が積まれているのに居合わせ、びっくりした。「今ほど銀行振り込みが当たり前ではなかったからねえ」
年500以上の野球の試合が催される野球場があります。東京都新宿区にある明治神宮野球場。プロ球団の本拠地球場であり、アマチュア野球の「聖地」でもあります。90年以上の歴史を誇りますが、一方で、初めての建て替えの検討も始まっています。そんな日本を代表する野球場を、関わりの深い人たちのエピソードを通じて描きます。
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