「令和」真意は 中西進さんが憂える「もののふ」の正体

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平出義明
【動画】中西進さんが語る新元号「令和」=佐藤慈子撮影
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 元号「令和」の考案者とされる国文学者の中西進さんが、令和への思いを語った。「『令和』は、麗しく、争わない国のことです」。戦争を経験し、今年90歳になったその人生に大切なものをくれた父の言葉と、だからこそ守りたい平和への思い。そして、気になる「もののふ」の動きとは――。

父の言葉の重み

 年賀状に、自作の俳句を記している。今年は父母を詠んだ。その句は「考妣(ちちはは)も遠く朱華(はねず)の初山河」。「考(こう)」「妣(ひ)」はそれぞれ亡くなった父と母、朱華は黄色がかった赤色を表し、年が変わった思いも込められている。

 万葉学の第一人者は、子どものころから、俳誌「武蔵野」の主宰者だった父藻城(もじょう)さんが催す句会や吟行に加わってきた。

 3歳のころの句として、成長してから藻城さんが示したのが「梅の木にすずめ毎日来てとまる」。親しかった俳人の故金子兜太(とうた)さんに思い切って言ってみると「ほほう、中西さん、俳味(はいみ)がある」。和歌なら梅にはウグイスだが、雅(みやび)な和歌に反逆を企て、俗を持ち込んだのが俳句だ。俗なすずめを詠み、雅に対立させたところを「俳味」と言ってくれたのでは、と想像している。

 吟行に連れていかれ、嫌でも俳句漬けだった。そこで、草花の名、天候や四季の表現など、様々なことを教えられた。

 小学1年のとき、ウソをつい…

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