昭和天皇が晩年、御製(ぎょせい)(和歌)を推敲する際に使ったとみられる直筆の原稿について、保管していた男性が4日、学習院大学史料館(東京都豊島区)に寄贈した。男性は取材に「昭和天皇の形見と思って大切に預かってきた。適切な研究機関に保管してもらえることになり、ほっとしている」と話した。昭和天皇が自ら記したものはほとんどないといい、識者は「第一級の資料」と話している。

 男性は天皇の身の回りの世話をする「内舎人(うどねり)」を務めた牧野名助(もりすけ)さん(93)。衣服の調達や着替えなど身の回りの世話を担当し、逝去まで約20年間にわたり日常生活を支えた。寄贈を機に、朝日新聞に対し、実名での経緯の公表に応じた。

 昭和天皇の直筆原稿は、朝日新聞が今年1月1日付朝刊などで詳報した。皇室に詳しい所功・京都産業大名誉教授らの協力を得た調査で、「宮内庁」の文字が入った罫紙(けいし)29枚に少なくとも252首が鉛筆でつづられていたことが判明。うち211首は昭和天皇の生涯を宮内庁がまとめた「昭和天皇実録」や、宮内庁侍従職編の歌集「おほうなばら」に未掲載だった。

 和歌は戦争や地方訪問、自然や家族にまつわるものまで、昭和天皇の率直な思いがつづられている。

あゝ悲し戰の後思ひつゝしきにいのりをさゝげたるなり

 これは、最後の公式行事出席となった1988年8月15日の全国戦没者追悼式に寄せた歌だ。

 この前年の87年、病に倒れ、念願だった沖縄県訪問を中止した際の苦しい胸のうちを率直に表現した歌も。

思はざる病にかゝり沖縄のたびをやめけるくちおしきかな

 また、原稿と一緒に保管されてきた側近の清書と、昭和天皇が心に浮かんだことを直筆で記したとみられる8枚のメモも一緒に寄贈された。このメモには、「一月寒中寒期きびしく、立春なれど寒さきびしく雪をみて二二六事けんを思ふ」「スキーをやめしこと散歩の出來ざりしをうらむ」「我がにはにスキーせしころなつかしくかのできごとをうらめしくおもふ。たのしくも子等よりスキイ(の)話きけばやすらけき世をたゞいのるなり」などの記述がある。36年に陸軍の青年将校らが起こしたクーデター未遂、2・26事件を思って書かれたものとみられる。

 寄贈先の学習院大学史料館は、天皇陛下が皇太子時代に客員研究員を務めるなど皇室とゆかりが深い。牧野さんは「この文書のおかげで陛下の本当のお気持ちが世の中に伝わったのであれば、保管を続けてきてよかった」と話した。同館は「整理・調査の上、学問研究の目的に十分活用させていただきます」という。

 所氏は「長い間、大切に保管されていたことに感謝したい。稀有な遺品が皇室とゆかりの深い学習院大学史料館に保存されることになり、今後の研究に役立てる道が開かれた意義は大きい」などと話した。