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 7月18日に起きた京都アニメーション第1スタジオの放火殺人事件。京都府警が犠牲者35人全員の実名を公表し、多くの新聞やテレビは全員を実名で報じた。異例ずくめだった公表までの経緯とともに、各社がどう報道したのかをまとめた。

 まず公表に要した期間が異例だった。

 府警幹部によると、府警は当初から実名公表を原則に調整を進めてきた。一方、京都アニメーションは7月22日、ネット社会の現在、実名が報じられると、プライバシーが侵害され、遺族が被害を受ける可能性があるとし、実名公表を控えるよう府警に要望した。

 府警は遺族や警察庁との話し合いを続け、公表時期を慎重に検討。事件から半月後の8月2日、まず10人の実名を公表した。葬儀が終わり、遺族が公表を承諾した10人だった(うち1家族は公表後に匿名を希望)。

 被害者名について府警は「プライバシーに配慮しつつ公表による公益性を総合的に勘案し、実名公表を判断してきた」とする。殺人事件では、ほとんどのケースで公表してきたという。

 残る25人の実名が公表されたのは事件発生から40日後の同27日。全員の葬儀終了を待っての公表だった。

分かれた遺族の意向

 公表時の対応も異例だった。取材を受けるかや受ける場合の場所など、遺族の要望を細かく聞き取り、それを報道各社に伝えた。

 府警は、犠牲になった35人の遺族のうち21人は実名公表拒否、14人は承諾の意向だったと説明している。

 府警によると承諾の主な理由は、お世話になった人やファンらに報告する必要があるというものだった。

 公表を承諾した石田敦志(あつし)さん(当時31)の父親は遺族で唯一会見を行い、「決して『35分の1』ではない。『石田敦志』というアニメーターが確かにいたということを、どうか忘れないでください」と語った。

 拒否の主な理由は、マスコミの取材で暮らしが脅かされる▽親戚や近所の人ら周囲に亡くなったことを知られたくない、だった。

 遺族に対するメディアスクラム(集団的過熱取材)が懸念されるとして、京都に拠点を置く報道各社は公表前から対策を検討した。

 7月25日には各社の代表者が、取材拒否の意向が明確な際はその意向を共有するよう努めることや、なるべく各社まとめた形で取材を行う方針を確認した。その後も発表時の取材方法について協議を継続。2回目の公表では、新聞・通信社とテレビの各1社を選び、代表社が遺族に取材の意向を尋ねる形式を取った。

 府警によると、9月5日時点で、この取材時のメディアスクラムに関するトラブルは報告されていない。

実名報じた社、理由説明

 報道各社は事件や事故の犠牲者を実名で報じてきた。今回も全国5紙や地元の京都新聞など京都府内に拠点を置く新聞、通信、放送12社のうち、事件そのものを報じなかった日刊工業新聞をのぞく11社は35人を実名で報じた。それぞれ、記事や番組の中で実名報道の理由を説明した。

 全員の実名が公表された翌日の8月28日、朝日新聞は「お一人お一人の尊い命が奪われた重い現実を共有するためには、実名による報道が必要」、毎日新聞も「(実名報道が)事件の全貌(ぜんぼう)を社会が共有するための出発点」と説明。日本経済新聞は、検証や再発防止につなげるために原則、実名報道をしているとした。

 読売新聞は事件から1カ月にあたる同18日の社説で「実名を基にした取材によって、警察発表の事実関係をチェックし、正確性を高めることは、報道の使命でもある」などと主張した。

 朝日新聞は、実名報道の理由などを11社に質問した。産経新聞は「性別と年齢だけでは失った存在の大きさは伝えられない」と回答。NHKは「事件の重大性や命の重さを伝えるため」と答えた。

 一方、共同通信や時事通信のように電子版では全員の名簿一覧を載せず、実名による報道を一部にとどめた社もあった。

 12社以外のスポーツ新聞では、対応が分かれた。スポーツニッポンは実名で報じたが、日刊スポーツは実名による報道を一部にとどめ、「遺族の方々のお気持ちを鑑み、匿名を希望される方の実名は伏せて報じています」と説明した。

 インターネット上には「遺族はそっとしておいてほしいはず」「メディアが新聞や週刊誌を売りたいがためだ」と実名報道を批判する書き込みも相次いだ。

音好宏(おとよしひろ)・上智大学文学部新聞学科教授(メディア論)の話

 実名の報道はどういう事件が起き、誰が亡くなったのか後世に残すために欠かせない。さらに今回の事件は、世界的に知られた作品をつくったクリエーターたちであり、その業績を伝え、誰が亡くなったのかを知らせる意味も大きいだろう。

 実名報道に対するインターネットを中心とした批判は、報道する意義が社会的に共有されていないうえ、報道被害に対する懸念があるからだ。メディアにはその意義を丁寧に説明しつつ、メディアスクラムを生まないように取った対策を明らかにし、自分たちも悩みながら取材をしていることを伝え、社会に理解を求める姿勢が大切だろう。

新恵里(あたらしえり)・京都産業大学法学部准教授(被害者学)の話

 実名を報じることは社会で犠牲者がどのような人だったのかを共有し、死を悼むためにも重要だ。それでも多くの遺族が実名報道を望まなかったのは報道機関に自宅や職場まで押しかけられたり、周囲に心ないうわさを立てられたりする懸念があったからだろう。

 報道機関側も代表取材の形を取るなど、その取り組みは評価できる。ただ、自宅の呼び鈴を押されたりすると生活を脅かされたと感じる遺族も多い。今後は犯罪被害者支援センターや弁護士を窓口にして、取材依頼があっても一呼吸置いて判断できるようにする方法も考えられる。社会とつながれば孤立を防げる。思いを伝えたいと考えた時に支援できる仕組みを、報道機関も含めて作る必要があるのではないか。

実名報道について朝日新聞の考えをお伝えします 大阪社会部長・羽根和人

 「遺族が実名報道を拒んでいるのに、なぜ載せるのか」。京都アニメーションの放火殺人事件で、亡くなった方々の身元を京都府警が公表した際、本社を含む報道各社が全員の実名を掲載したことに、批判や疑問の声が寄せられました。

 残忍な事件で大切な人を突然奪われたご遺族の心痛はいかばかりかとお察し申し上げます。

 亡くなった方々に多くの人々が思いをはせ、身をもって事件を受け止められるように報道する。それが、事件に巻き込まれた方々の支援や、再発防止のあり方を社会全体で考えることにつながるのではないか――。私たちが事件ごとに検討しながら、実名報道を原則としているのは、そのような思いからです。

 今回も私たちは、亡くなった方々お一人お一人の名前を掲載し、一部の方についてはご遺族や知人からうかがったお話を記事にしました。ファンから愛されたクリエーター、夢を膨らませて入社した若い作り手……。失われた命の重みと尊さは「Aさん」という匿名ではなく、実名だからこそ現実感を持って伝えられると考えているからです。

 事件後、現場には「京アニにいる知人が無事か分からない」と心配する人が次々と訪れました。ネットでは真偽不明の安否情報が飛び交いました。正確な情報を社会に伝えて混乱を防ぐこと、事件を詳しく記録して歴史にとどめることは報道機関の務めだとも思っています。

 メディアスクラムなど、これまでの事件取材が実名報道への批判を生んだことは真摯(しんし)に受け止めます。京都に取材拠点がある報道各社は今回、メディアスクラムを防ぐ新たな取材方法に取り組みました。私たち朝日新聞は安全・安心な社会の実現に役立つよう努めるとともに、取材や報道のあり方を考えていきます。