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神宮球場物語⑥

 1980年夏の全国高校野球選手権大会。早稲田実高の1年生投手だった荒木大輔さん(55)は、強豪を相手に完封試合を連発し、チームを準優勝に導く立役者になった。端正な顔立ちもあいまって、たちまち「甲子園のアイドル」に祭り上げられた。

 行く先々に女性ファンらが押しかけ、幾重にも人垣ができるように。警備員が出動して交通整理をしないと移動もできない騒ぎになった。新生児の名前に「大輔」が流行するなど、世に言う「大ちゃんフィーバー」が巻き起こった。

 荒木さんは5季連続で甲子園に出場し、プロから熱い視線を浴びた。82年秋のドラフトでは、巨人とヤクルトが1位指名。競合の末、ヤクルトが甲子園のヒーローを獲得した。だが、荒木さんをめぐるフィーバーが続くなか、同時にある問題が持ち上がった。

 発端は、ヤクルトが本拠地とする神宮球場の構造にあった。ヤクルトのクラブハウスと神宮球場は、一本の歩道をはさんで隣り合う。選手たちはこの歩道を横切って球場入りする。歩道は大勢のファンらも行き交う場所だ。

 荒木さんがここを通れば、熱狂的なファンが殺到してもみくちゃになり、不測の事態が起きかねない――。そんな警備上の懸念がぬぐえなかった。

 こうして、荒木さんはルーキーイヤーから、歩道の地下5メートルに掘られた地下通路を通って、球場入りするようになった。通路は荒木さんの入団の年に完成。ファンやメディアからは「荒木トンネル」と呼ばれるようになった。

 今年8月。記者は、現在日本ハムの2軍監督を務める荒木さんを訪ねた。

 ――三十数年前、荒木トンネルの中で何を思っていましたか。

 そう尋ねると、意外な答えが返ってきた。荒木さんがあのトンネルを使っていた、知られざるもう一つの理由があった。

年500以上の野球の試合が催される野球場があります。東京都新宿区にある明治神宮野球場。プロ球団の本拠地球場であり、アマチュア野球の「聖地」でもあります。90年以上の歴史を誇りますが、一方で、初めての建て替えの検討も始まっています。そんな日本を代表する野球場を、関わりの深い人たちのエピソードを通じて描きます。

トンネル、まるで鍾乳洞

 明治神宮外苑(がいえん)の森はセミの大合唱だった。8月、許可を得てヤクルトのクラブハウスがある敷地に入った。めざすは敷地の隅にひっそりと立つ円筒形の小さな建物だ。

 一つしかないドアを手前に引くと、そこには地下に続くらせん階段があった。約20ある段を下りると、目の前には約15メートルの直線の地下通路。コンクリートむき出しの素っ気ない空間で、炎天下の地上と違い、ひんやりとしている。まるで鍾乳洞に入ったような感覚だ。

 蛍光灯のあかりを頼りに、薄暗い通路を歩ききると、また同じらせん階段があった。階段を上り、外に出る。すると、そこは神宮球場の中だった。球場の出入り業者らが行き交う通路の先に、一塁側ファウルグラウンドの入り口が見え、芝の緑がのぞいていた。

 「周囲も自分も、けがが一番困る。だから、トンネルは助かりました」。36年前、地上の歩道を避け、この地下通路を使って神宮球場入りを始めた荒木さんは、こう振り返る。

 安全上の理由から始まった荒木さんの荒木トンネルくぐり。だが、やがて、登板前に意外な効用があることがわかったという。

 「ざわざわしたクラブハウスのロッカーから、トンネルに入ると一気に静かになる。暗いトンネルを歩くうちに、気持ちが集中していく。そして、らせん階段を上がっていくと、だんだんと外から聞こえる声が大きくなり、ぽつんと見えていた光がまぶしくなっていく。歩く時間は1分もかかりませんでしたが、あのトンネルで、オフからオンへ気持ちを切りかえ、登板に臨んでいたんです」

 荒木トンネルで精神を集中し、プロ登板を重ねていった荒木さん。3年目から先発ローテーションに定着し、翌年は開幕投手に起用された。オールスターのファン投票で1位選出され、87年には、自己最多の10勝をあげた。

 順風満帆にみえた。

1541日ぶりのマウンド

 88年7月6日。神宮であった大洋戦で、荒木さんは2番手としてマウンドに上がった。打者5人に投げ、1失点。結局、これがその年の最後の1軍登板になった。

 投手の命であるひじを痛めていた。その後、3度の手術を経験。プロ野球には次々と新しいヒーローが生まれ、80年代前半のフィーバーはもうなかった。長くつらいリハビリに黙々と取り組む日々が続いた。

 大洋戦での最後の登板から4年以上がたっていた。92年9月24日。ヤクルトは神宮に広島を迎え、1点を追いかけていた。14年ぶりのリーグ優勝へ、負けられない戦いが続いていた。

 あの日、どう球場入りしたのだろう。あのトンネルを使っただろうか。記憶ははっきりしない。声がかかれば、いつでも投げられるよう準備していた。それだけはよく覚えている。

 七回表2死一塁。広島の4番、江藤智内野手に打順が回った。もう1点もやれない。投手交代が告げられた。ゆっくりとマウンドに向かった。神宮から悲鳴のような大歓声がわき起こった。

 「神宮ではふつう、ライトから一塁側にかけて陣取るヤクルトファンから声援を受けるものですが、あのときは、カープファンも含め、球場全体からものすごい声援をもらいました」

 1541日ぶりに戻ってきた神宮のマウンドだった。

 「チームが優勝争いをしているときの神宮の雰囲気には、独特のものがありました。復帰へ向けファームの試合では投げていましたが、比べものにならなかった」

 マウンド上で神宮の夜空を一度見上げた後、セットポジションに入った。古田敦也捕手のミットをめがけ、右腕を振り抜く。135キロの直球でストライク。1球ごとに球場がどよめく。勝負はフルカウントまでもつれたが、最後はフォークで空振り三振。大歓声の中、ベンチに戻ると、次々に握手を求められた。

 翌月には、やはり神宮で中日戦に先発。スタンドに母親らを招待し、7回を2安打無失点に封じ、復帰後の初勝利をものにした。チームのラストスパートにも貢献し、ヤクルトはこの年、悲願のリーグ優勝を果たした。

     ◇

 神宮外苑の森がスコアボードの周囲からのぞく。そんなマウンドでみた光景を、今でも時折思い出す。荒木さんにとって、神宮は特別な野球場だ。

 「幼いころ、初めてプロ野球を観戦したのは神宮。小中高校とも神宮でプレーし、プロ初登板、初先発、初完投勝利も神宮でした。ケガからの復帰登板と復帰後の初勝利も神宮。日本シリーズでの初めての先発も最後の引退登板も神宮。野球人生の節目には必ず神宮がありました」

 その神宮も変わりつつある。

 現在、神宮外苑では再開発計画が進む。近接し合う神宮球場と秩父宮ラグビー場は、それぞれ場所を変えて建て替えられる計画だ。新球場は、2027年度にもお目見えすると報じられる。これにあわせ、現球場は解体される方向だ。荒木さんが登板前に通ったあの荒木トンネルも、いずれ姿を消すことになるのだろうか。(榊原謙)