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 アメリカとの和平協議が合意寸前まで行ったことで、アフガニスタンの反政府武装勢力タリバーンに注目が集まっています。両者の対立のきっかけは2001年9月11日のアメリカ同時多発テロです。あれから18年。タリバーンのメンバーは増え続け、なんと今が最大と見られているそう。発足時は国をよくしてくれる存在として期待された一面もあった彼らですが、いったいどんな勢力なのでしょうか。アフガニスタンに詳しい中東調査会の青木健太研究員に話を聞きました。

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 ――タリバーンって、どういう人たちなんですか。

 タリバーンは、アラビア語である「ターリブ」(学生)を、アフガニスタンで使われているパシュトゥー語で複数形にした単語です。イスラム諸学を学び、イスラム法の「シャリーア」に基づいてアフガニスタンを統治しようという人たちの集まりです。自らをタリバーンと名乗ったわけではなく、周りが学生の集団という意味でタリバーンと呼ぶようになり、その名が定着したんですよ。

 ――学生なのに武装しているんですか?

 1994年11月、アフガニスタンの南部カンダハルで、武装蜂起した20人前後がタリバーンの最初と言われています。それが11月末に2千人、数カ月後には2万人と、どんどん増えていきました。

 資金や武器の供給などは、当初から一貫してパキスタンの支援を受けていると言われています。東側でインドと常に相対しているパキスタンとしては、西側に親パキスタンの勢力を置き、軍需補給の供給地を確保したいという狙いがあるんでしょう。

 ――タリバーンが武装蜂起したのはどうして?

 アフガニスタンは79年~89年にソ連に侵攻され、当時の政権はソ連の支援を受けた共産主義政権でした。しかし、ソ連の崩壊と共に当時のアフガニスタン政権も崩壊。その後、ソ連と戦ったムジャヒディン(イスラム聖戦士)が政権を作ったんですが、彼らの間で権力闘争が激しくなると、略奪や暴行、レイプなどが横行する無政府状態になってしまいました。

 そこへ登場したのがタリバーンです。ムジャヒディンの司令官を討伐して、支配地域を拡大しました。96年には首都カブールを制圧して国土の9割を実効支配し、タリバーン政権を築きました。

 ――無秩序だった国を変えたということでしょうか。

 タリバーンの当初の目的はイスラム統治による治安回復と世直しです。当初から武装はしていましたが、社会運動的要素が強かったんですよ。アフガニスタンは人口の99%がイスラム教徒です。内戦という暗黒時代にあって、国民も「国をよくしてくれるのではないか」という期待感を持っていました。事実、厳格なシャリーアの適用で、治安は安定していました。

 ただ、音楽などの娯楽や女性教育の禁止、姦通(かんつう)罪は石打ちの刑に処するなどのタリバーン支配を快く思わなかった人も数多くいました。また、世界的な文化遺産であるバーミヤンの大仏も破壊しました。欧米諸国は激しく非難し、タリバーン政権を承認したのは、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、パキスタンの3カ国だけです。

9・11ですべてが変化

 ――状況が一変したのが「9・…

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