聞き手・谷辺晃子
寡黙で不器用で厳しくて、だけど不言実行。設計関係の仕事をする父には、芸能界入りをずいぶん反対されました。
阪神大震災の2カ月後、1995年3月に私は上京しました。ただ、きらびやかな世界に憧れたわけではありません。被災した神戸に足を運んでくれた多くの歌手や俳優の方たちを見て、私の憧れる世界は勇気や生きる希望を与えられると思ったからです。
「努力をして夢をかなえたい。最初のホップだけでもさせてほしい」と両親に伝えましたが、納得してもらえなかった。留学がしたかったときも、父に「外国は銃社会だから」と反対されました。
そのことを後悔しているとは言わないけれど、やりたいことのホップもせずに悔やみたくはなかった。「なんの援助もいらないから行かせてくれ」と言ったとき、父は背中を向けたんです。
それでも私は譲らなかった。「…
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