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 奈良市の薬師寺の前身寺院が建てられたとされる奈良県橿原(かしはら)市の本(もと)薬師寺跡(7世紀末、特別史跡)で、南門跡が新たにみつかった。橿原市教育委員会が25日発表した。薬師寺の伽藍(がらん)建設をめぐっては、飛鳥時代の藤原京(694~710)に築かれた本薬師寺からの「移築説」と、平城京遷都後の奈良時代の現在地での「新築説」があった。南門の規模や構造が異なる可能性が高いとみられ、新築説をさらに補強する成果となりそうだ。

 薬師寺は680年、天武(てんむ)天皇が皇后(後の持統(じとう)天皇)の病気快復を願って藤原京内に創建され、710年の平城遷都に伴って奈良・西ノ京の現在地に移されたとされる。本薬師寺跡に建物は現存しないが、金堂と西塔、東塔の基壇や礎石が残され、その南に中門が立ち、回廊が囲んでいたとみられる。近年の奈良の薬師寺東塔に対する年輪年代測定で奈良時代前半の建立が明らかとなり、東塔の新築説が確定的となった。

 市教委は今年2~3月、農道拡幅工事に伴い、中門跡の南の約118平方メートルを発掘調査。中門の約20メートル南から柱の礎石が設置されたとみられる穴三つがみつかった。穴が伽藍中央を軸に対称に並んでいることなどから、南門跡の可能性が高いとみている。

 南門の規模は東西約15メートル、南北約10メートルとみられる。中門より大型で、7世紀末~8世紀初めの国家中枢だった藤原宮を構成する主要な門と柱間の長さが同じだった。一方、奈良・薬師寺の創建時の南門は東西約26メートル、南北約9・5メートル。両薬師寺の南門は規模や構造が異なっていたとみられる。

 小澤毅・三重大学教授(考古学…

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