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 縁あって水俣を訪れ、水俣病を知った。患者を支え、自らも病を得た。被害を認めない行政と対峙(たいじ)し、妥協を排して闘った。「よそ者」として暮らし始めて60年。ふるさとになった水俣で生涯を閉じた。

 宮本巧(たくみ)さん=熊本県水俣市。水俣病訴訟の元原告団長で、被害者への補償実現に尽くした。8月13日、水俣市内の病院で急性肺炎で息を引き取った。享年90。家族や親類に見守られての静かな最期だった。自宅は公表していない。

 大津町の出身。1959年、とび職人として水俣市内の建築現場に働きに来た時、海辺の集落の娘と出会う。「一緒になりますけん」と義父にあいさつすると、「うして(捨て)ちゃくるんな」と言われた。家族は水俣病の災禍に見舞われ、困窮していた。

 この頃、水俣病の公式確認から…

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