村井七緒子
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キリンエコー社長の丸山千種さん=西田裕樹撮影
キリンホールディングスの子会社、キリンエコーで初の女性社長となった丸山千種さん。男女雇用機会均等法が施行された1986年に新卒でキリンビールに入社して以来、数々の「女性初」を経験してきました。会社員のキャリアのなかで試練を与えたのも、試練を乗り越える力をくれたのも、仕事でした。
――キリンビールでは女性初の営業総合職でした。一般職で入社する女性が多い時代、迷いはありませんでしたか?
それはなかったですね。親の援助なしで衣食住をまかなえるようになりたくて、全国転勤で社宅のある会社に絞って就職活動をしました。当時、一般職の多くは自宅通勤が条件だったので総合職に。親に頼めば援助してくれたと思いますが、とにかく一人前になりたかった。
ただ、社宅に住む女性社員がそれまでいなかったので、私ともう1人の同期の女性2人のために、会社が2階建てアパートの隣り合った2部屋を借り上げて、そこに住みました。部屋の外に洗濯機を置くアパートで、窓を開けるとすぐに線路がありました。電車が通るとちょっと揺れるので、最初は朝5時ごろの始発電車が通ると目が覚めてしまって。
ずっと働き続けることは、幼い頃から決まっていた感じがあります。実家は祖母の代から飲食店を営んでいて、幼いときから「3代目」と言われていました。だから将来、他で働かないならここで働くんだと思っていました。仕事をしないという選択肢はありませんでしたね。
――女性初の営業は、苦労も多かったですか?
駆け出しは、街の酒屋さんへの…
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