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 キャンプ中に中学生8人と教員1人が鉄砲水に襲われ、水死する事故が起きてから半世紀余り。宮崎市立青島中学校では、今も月命日に全校集会を開き、後輩が命の大切さを学んでいる。惨事を風化させまいという「伝統」が、これほど長く続く理由とは。

 9月13日朝、青島中の全生徒約40人が体育館に集った。「エレベーターにいるときに大地震が起きたらどう行動する?」。濱砂美江先生(27)が問うと、生徒たちは「うーん」とうなった。「すべての階のボタンを押して、最初に止まった階で降りましょう」

 毎月恒例の「安全の日集会」だ。53年前の水難事故をきっかけに始まった。

 67年、事故の一周忌の追悼式典で、青島中の生徒会は「慎重に行動し、計画性をもち、かけがえのない生命を守ります」などとする「安全の誓い」を発表。翌年の68年には、校内に「安全の碑」が建立された。

 学校は月命日の14日を「安全の日」と制定。夏休み中の8月をのぞく毎月14日ごろに全校生徒が集会を開き、教員が持ち回りで命の大切さについて講話をしている。テーマは水害、地震、津波、火山などの自然災害に限らず、近年は交通事故、いじめ問題、SNSの使い方にも及ぶ。

 濱砂先生はこの日、地震発生時の行動を考えるクイズを四つ出した。その後、3年生で生徒会長の立川百華さん(15)が全校生徒の前に立ち、全員で「安全の誓い」を唱和し、事故の犠牲者に黙禱(もくとう)を捧げた。

 集会後、立川さんは「万が一のとき、何をするべきかを自分で考えるいい機会だと思う」。古川康二校長(55)は「毎回、生徒たちは真剣に聞く。長く引き継がれてきた伝統で、とても意義深い」と話した。(佐藤修史)

15年ぶりの事故現場 遺族の思い

 青島中の水難事故の遺族2人が8月、境川の現場を訪ねた。中州を見渡してそれぞれの妹をしのび、事故後に建立された地蔵菩薩(ぼさつ)の前で手を合わせた。

 米穀店経営増田政則さん(70)と、理容店経営黒木康司さん(70)=いずれも宮崎市。増田さんが声をかけ、2人とも約15年ぶりに訪問したという。

 増田さんは、中学3年だった妹の和子さんを亡くした。「笑顔で出かけたのに、すっかり冷たくなって自宅に戻ってきた。和子はもちろん、亡くなった全員の顔を忘れられない」

 同じ3年だった黒木さんの妹順子さんは遺体の発見が最も遅く、長く捜索が続いた。黒木さんは「すさまじい濁流だった。泣きながら名前を叫び続けたのを思い出す」。

 水の事故は後を絶たない。1999年の日付も同じ8月14日、神奈川県の玄倉(くろくら)川でキャンプ中の18人が増水した川の中州に孤立した末に流され、13人が亡くなった。青島中の事故で長女を亡くした高畑義夫さん(88)=宮崎市=は当時取材に対し、「玄倉川の事故は境川のときとまったく一緒。悲劇が繰り返され、残念です」と語っていた。

 今年の8月14日には、大分県玖珠町の大谷渓谷にバーベキューをしに来た18人が、川の増水で孤立した。台風10号が九州を通過する中、乳児を含む全員がかろうじて救助された。(佐藤修史)

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 〈境川の水難事故〉 1966年8月14日朝、旧山之口町(現・都城市山之口町)の青井岳キャンプ場を流れる境川の中州にテントを張っていた青島中学校の生徒11人と教員2人が鉄砲水に見舞われ、中州に取り残された。水位が増し、生徒8人と教員1人の計9人が濁流にのまれ、水死体で見つかった。①台風の接近で前日から天候不順だったのにキャンプを強行した②管理人や警察から危険を指摘されながら中州に宿泊した――といった問題があったとされる。