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 ミャンマーの少数派イスラム教徒ロヒンギャの人々が、難民となって隣国バングラデシュに逃れて2年が過ぎました。政府が帰還を促しても、ミャンマーに戻る人はほぼおらず、バングラデシュでは91万人以上が暮らす難民キャンプが長期化する見通しです。どうして、ロヒンギャの人々は故郷に戻れないのでしょうか。なぜロヒンギャの人々はこのような苦境にあるのでしょうか。

 「竹とビニールのおうちで、よくこんな所に住めるなと。みなさん土の上にゴザを敷いて寝ていました」

 9月末、東京で国際NGO「難民を助ける会」(AAR Japan)が開いたバングラデシュのロヒンギャ難民キャンプの視察報告会。視察に訪れたタレントのデヴィ夫人が、難民キャンプの様子をこう語りました。

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、大規模な難民流出となった2017年8月以降にバングラデシュに逃れた人は74万人以上。それ以前から逃げてきている人も含め、キャンプには91万人以上のロヒンギャの人々が身を寄せています。その55%が18歳未満の子どもです。

 AARでは、トイレや井戸など水衛生施設の整備のほか、子どもや女性のストレスやトラウマを軽減するための支援活動をしています。

 デヴィ夫人は「世界で何が起きているかに対する無関心は罪なこと。地球の片隅で人間として耐えられない生活を送っている人がいる。この問題にもう少し関心や興味を持ってもらいたい」と訴えました。

 そもそもロヒンギャとはどういう人たちで、なぜ迫害を受けるようになったのでしょうか。ミャンマーに詳しい上智大の根本敬教授に聞いてみました。

 ――そもそも、ロヒンギャとはどういう人たちを指すのでしょうか?

 ミャンマーの西部海岸沿いにあるラカイン州の北西部に住むイスラム教徒(ムスリム)の集団です。ただし、いつからこの地域に存在するのかは、文献も乏しく、ロヒンギャ側の主張と、ラカイン人(ラカイン州に住む仏教徒)側の主張で異なり、それが対立の根本にもなっているため、非常に難しい問題です。言語はバングラデシュで話されているベンガル語のチッタゴン方言に似ています。

 「ロヒンギャ」という単語が文献に初めて出てくるのは1950年です。しかし、ロヒンギャと呼ばれているコミュニティーの起源は、15世紀~18世紀に今のラカイン地方とバングラデシュ南部にあった「アラカン王国」という見方が有力です。多数派は仏教徒でしたが、ムスリムも数多くいて共存していました。

 ミャンマーは多民族国家で、6割強がビルマ民族、その他に135の土着民族がいます。しかし、ロヒンギャはこの土着民族に含まれず、政府は国民として認めていないのです。そのため正確な数は不明ですが、難民流出前はミャンマー内に110万人近く、他国も含めると200万人近くいると言われています。

 ――なぜロヒンギャは国民として認められていないのですか?

 1948年にビルマが独立。6…

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