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 長き低迷から大きな飛躍へ。世界に蹴散らされ続けた時代を乗り越え、日本がW杯で初の8強進出を果たした。その歩みを振り返る。

 日本が招待出場した初のW杯(1987年)の前年、アジア大会決勝で日本は韓国に敗れた。現日本代表プロップ具智元の父、東春らを擁する韓国は当時、日本をしのぐ実力を誇っていた。「アジア代表の資格はない。辞退させてほしい」。日本協会幹部はW杯関係者に申し出たという。

 第1回大会のメインスポンサーはKDD(国際電信電話、KDDIの前身)。実力以外のところでW杯に欠かせない存在として日本の挑戦は始まった。日本のW杯初トライを決めたトンガ出身のWTBノホムリ・タウモエフォラウ(63)は「タックルしても相手が止まらない。世界とは差があった」。3戦全敗だった。

ラグビー場に散乱するゴルフボール

 大会後、優勝したニュージーランド(NZ)が初来日し、日本戦2試合に圧勝した。会場の大阪・花園ラグビー場を下見した際、無数のゴルフボールが転がっていて、NZの監督が「試合までに片付けられるのか」と驚いた逸話が残る。当時の花園はゴルフ練習場を兼ねていた。至るところに芝生のラグビー場が広がる本場との環境の違いは大きかった。

 地域予選が始まった第2回大会(91年)で日本はジンバブエを52―8で破り、W杯初勝利を挙げた。宿沢広朗監督、平尾誠二主将(いずれも故人)が率いるチームは、当時では珍しく相手を徹底的に分析。主力をほぼ固定して連係を熟成させ、世界と渡り合った。

 しかし、次へのステップは踏め…

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