森本類・33歳
世界は必ず変わる――。核兵器をめぐる近年の世界情勢を予見するように、あの人はよく言っていた。
2歳の時に爆心地から5キロの長崎県福田村(現・長崎市福田本町)で被爆した長野靖男(ながのやすお)さん(76)=同県時津町=はそう思い返す。「あの人」とは「車いすの原爆語り部」として知られた渡辺千恵子(わたなべちえこ)さん(1928~93)。1956年に長崎で開かれた原水爆禁止世界大会で、母に抱えられながら被爆体験を語る姿が、核兵器廃絶運動のシンボルとも言われた人だ。
出会いは1985年。職場のサークルで合唱に打ち込んでいた長野さんは、被爆40年の催しを前年から仲間たちと企画していた。「40年にふさわしいような音楽作品が作れないか」。そんなアイデアが出たものの、曲作りはなかなか進まない。そこで、代表的な語り部の一人に直接話を聞こうということになった。
渡辺さんは被爆当時、16歳の女学生。動員先の工場で被爆して下半身を負傷し、歩くことも、立つこともできない体になった。「自宅の薄い布団に、死を待つだけの状態で寝かされていたんです。やがて……腰や足の肉が腐り始めたんです」。くんちの季節には、華やかに着飾った同世代の娘たちが窓越しに見えた。母が縫ってくれたブラウスを「こんなもん要らん!」と投げつけたこともあった。
被爆者の苦しみを初めて知った――。同じ被爆者ながら、長野さんは渡辺さんの半生を聞いて、そう思わずにはいられなかった。
渡辺さんの言葉をそのまま採り入れ、生まれたのが合唱組曲「平和の旅へ」。原爆に青春を奪われた苦しみや、平和活動に生きる希望を見いだしていく半生を、八つの合唱曲と語りで描く約30分の大作だ。
30年以上にわたって歌い継が…
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