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 かつて広大な敷地を占める貨車の操車場が、全国各地にあり、たくさんの線路に貨車がいっぱい並んでいました。しかし、鉄道貨物輸送の変化の中で、全廃されて今に至っています。省エネルギーで地球に優しい輸送手段として、改めて注目される鉄道貨物輸送の歴史を、鉄道博物館(http://www.railway-museum.jp/別ウインドウで開きます)(さいたま市)とJR貨物(https://www.jrfreight.co.jp/別ウインドウで開きます)からの情報をもとに振り返りながら、操車場がどうなったのかを探ってみます。

 国内で鉄道による貨物輸送は、新橋・横浜間に鉄道が開通した1872(明治5)年の翌年に始まりました。やがて全国に張り巡らされた線路網を生かしながら、物資の輸送を幅広く担いました。農水産物や木材、家畜、さまざまな工業製品のほか、国内で産出された石炭や石灰石などの鉱物資源まで貨物列車が運んでいました。以前は津々浦々の小さな駅が、旅客も貨物も扱っていたのです。

 そんなころ、貨車の発着駅は1両ごとに違っていました。貨物列車は貨車を何両も連ねて走り、途中のどこかで行き先を仕分けるために、何度か編成を切ったりつなげたりしていました。その作業をする場所として、主要路線の分岐点近くなどへ設けられたのが広い操車場でした。

 操車場には行き先別に分かれた…

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