胎児性水俣病患者の母で、自らも水俣病を抱えながら被害者の救済を訴え続け、13日に94歳で亡くなった坂本フジエさんの葬儀が15日、熊本県水俣市内で営まれた。遺影は多くの花々に囲まれ、参列者は別れの涙をこらえながら、感謝の気持ちを伝えた。

 フジエさんは当時4歳だった長女の真由美さんを水俣病で亡くし、次女しのぶさん(63)は胎児期にメチル水銀の被害を受けて水俣病になった。原因企業チッソに賠償を求め、勝訴した水俣病第1次訴訟(1969~73年)の原告患者家族の中心的存在となり、72年には国連人間環境会議が開かれたスウェーデン・ストックホルムをしのぶさんらと訪問。「こん子ば見て下さい。胎児性患者のなかではよか方です」と訴え、被害の過酷さを世界に伝えた。

 この日は1次訴訟を闘った患者家族らでつくる水俣病互助会事務局の伊東紀美代さん(77)が弔辞を読み、フジエさんが残した言葉を紹介した。「水俣病を隠そうと思ったことはない」「被害者が頑張らんば」「しのぶの歳の数だけ闘ってきた。これからも生きている限り闘う」……。そして感謝を込めて別れを告げた。「彼岸では懐かしい方々が待っていると思います。どうぞ、ごゆっくりお休み下さい」

 出棺前の最後の別れ。しのぶさ…

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