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 福岡県八女市星野村でともされ続ける広島原爆の残り火が、愛知県豊橋市の私立桜丘高校(満田康一理事長)の「平和の塔」に分火され、15日で30年を迎えた。14日には同校で記念式典が開かれた。星野村に火を持ち帰った山本達雄さん(2004年に88歳で死去)の次男で陶芸家の拓道さん(69)が招かれ、生徒や火を語り継いできた人たちとともに平和への思いを新たにした。

 30年を記念して、星野村から広島を経て同校まで約900キロを自転車でたすきをつなぎ、核兵器廃絶と平和を訴える「ピースリレー」が生徒たちによって催され、式典の中で最終走者たちがゴールした。

 「リレー」は2、3年生約20人が7月から4区間に分かれ、計13日をかけて走破。星野村では、拓道さんが構える窯を、道上フェリーペさん(3年)らが訪ね、「戦争のない世界をつくろうという思いを、多くの人に伝えて走りたい」と決意を述べた。最終区間の一人、福岡聖大(せいた)さん(2年)は「走っている時、いろんな人から『がんばって』と声をかけていただき、最後まで走ることができた」と完走を報告した。

 生徒会長の杉浦空(そら)さん(3年)が「平和宣言」を読み上げた。沖縄への修学旅行で感じた「戦争の痛み」やピースリレーで感じた「平和をつなぐ大切さと大変さ」、戦争体験者から託された「人類は核兵器とは共存できない」「戦争は始まったら止まらない」という言葉に触れ、「今日までつながってきた平和への思い 様々な人々の意志を私たちは『感じ』『考え』 そして手と手を重ねるように『つないでいく』」「この火とともに 平和を学ぶ ここに息吹(いぶ)く 心をつなぐ」と述べた。

 星野村の火は、原爆投下時に召集されて広島にいた達雄さんが、爆心地近くで犠牲になった叔父の遺骨代わりに、くすぶっていた火をカイロに収めて持ち帰った。旧星野村、合併後に八女市へと受け継がれ、そこから採られたともしびは平和のシンボルとして広まった。達雄さんが亡くなった後、火の由来と核兵器廃絶の願いは拓道さんが語り継いできた。

 桜丘高校の火は、各地に分火されたうち、学校では唯一の例という。平和の塔は1989年10月15日に完成した。高さ約5メートルで、柱部分は御影石とステンレス。正門を入った正面に立つ。さびた鉄の台座は「焼けただれたまち」、御影石は「変わらぬ大地」、ステンレスは「私たちの未来」を表し、たもとの銘板には「この火から遠ざかるまい 私たちの意志を未来へ放つ」という建立・点火時の平和宣言が刻まれている。

 分火のきっかけは88年。第3回国連軍縮特別総会に届けるためにリレーで運ばれた火が、ランプに移され、学園祭で展示された。これを見た生徒たちから「校内で火を保存しよう」という声が上がった。

 塔の建設費など200万円の資金は、「100円玉で平和を」を合言葉に寄付で集めた。当時の校長及部十寸保(およべますほ)さん(86)は「支援の輪は多くの市民へと広がり、みんなで火をともし続ける意識が高まった」と振り返る。

 拓道さんが星野村で原爆の火を火種に窯を開いたのは、平和の塔が建てられたのと同じころだ。桜丘高校の先生たちが分火の準備で星野村を何度も訪れ、達雄さんと平和について語り合うのをそばで聴いた。「そこから私も平和活動に目を向けるようになった。桜丘高校の人たちは大先輩と言える」とたたえた。(佐々木亮)