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 千曲川の決壊した堤防の目の前にある長野市の長沼交流センター(旧長沼公民館)は、みんなが集う地域のよりどころだった。大切にしてきた歴史的資料も仲間をつないだ太鼓も、濁流がすべて流してしまった。それでも全国からの励ましに支えられ、少しずつ前を向き始めた。

 公民館時代からセンターの所長を10年以上務める宮沢秀幸さん(71)は連日、片付けに追われている。

 平屋建てのセンターは天井まで浸水の跡が残り、ほとんど壊滅状態。長沼の郷土資料や、元禄時代の信濃国の地図、小林一茶に関する150冊の書物は泥に埋もれた。本はページがくっついている。「とても修復できない。あきらめきれないけど……」。日本に五つしか現存しないという戦国時代の重要拠点だった「長沼城」の平面図は、見つからないままだ。

 まさか決壊するとは思わず、移動させることもできなかった。どこかに埋まっているのか、流されたのか、わからない。「再建するにも数年かかるだろう。これをきっかけにセンターがなくなってしまうことが一番怖い」と話し、不安そうな表情を浮かべた。

 センターは、子どもたちのスイーツ教室が開かれたり高齢者がお茶を飲みにきたりと、地域にとっても大切な場所だった。

 宮沢さんが講師を務める太鼓グループもここで練習していた。子どもたちから平均75歳の女性グループまで、メンバーは30人以上。毎年3月には東日本大震災で被災した福島県を訪れ、4月の長野マラソンでは沿道で選手を応援する。だが、練習部屋の壁はなくなり、泥だらけ。60個あった太鼓もどこかへ流された。

 18日まで毎日、他の太鼓グループの仲間が数人ずつ手伝いに来てくれている。流された太鼓やバチ、獅子舞の頭の部分を見つけてくれた。太鼓はこれまでに七つ見つかった。宮沢さんにようやく笑みがこぼれた。

 交流のあった全国の仲間からも心配する電話やメールが届く。13日から携帯は鳴りっぱなし。「できることはなんでもやるよ」「いつでも駆けつける」。そんな声に励まされている。

 「やっぱりめげちゃだめだね。みんなで一緒に、一つ一つ、助け合いながらやっていきたい」。少し、気持ちが前を向いた。(田中奏子)