[PR]

 2019年4月1日、東京・築地の朝日新聞東京本社。5階にある政治部では「六角」と呼ばれる大机にデスク、キャップ、担当記者が集まり、新元号発表の瞬間を待ち構えていた。

 元号取材班の大久保貴裕(たかひろ)は当日朝、政府が元号考案を依頼した1人、漢詩研究の第一人者である石川忠久(ただひさ)・元二松学舎大学長から13の元号案を入手することに成功した。

 大久保は2018年10月から半年間にわたり石川氏に密着しており、この日も石川氏が入院中の病室にいた。もし石川氏の案が選ばれれば、他社を圧倒するサイドストーリーを報じられる。本社に控える政権担当デスクの松田京平、官邸クラブキャップの田伏潤、取材班の二階堂友紀は手もとに石川氏の13案を用意し、NHKの中継画面をじりじりした思いで見つめていた。

『秘録 退位改元―官邸vs.宮内庁の攻防1000日』を朝日新聞出版から出版しました。上皇さまが退位の意向を周辺に伝えてから、新天皇陛下が即位するまでの1千日あまりの舞台裏を克明に描いたノンフィクションです。

 予定より11分遅れの午前11時41分、菅義偉官房長官が黒いバインダーを右手に抱え、首相官邸の記者会見場に入ってきた。

 「先ほど閣議で元号を改める政令、および元号の読み方に関する内閣告示が閣議決定をされました」

 ここまで読み上げると、伏せた額縁が届けられた。菅氏はいったん額縁を置いた。一瞬、文字の輪郭がのぞいたが、前日ひそかにリハーサルした時ほどではない。

 菅氏はごくりとつばをのみ込むと、発表した。

 「新しい元号は、れいわ、であります」

 「令和」としたためた墨書が掲げられた。石川氏の案ではない。菅氏は1分25秒墨書を掲げ続けた後、典拠を告げた。

 「令和は万葉集の……」

 その瞬間、取材班の誰しもが「中西進氏の案だ」と直感した。中西氏は万葉集研究の第一人者として知られ、独自性の高い研究は「中西万葉学」とも評される。二階堂は本社地下1階にある取材班の作業部屋へ走った。典拠の説明を書くには中西氏の『万葉集 全訳注原文付』(講談社文庫、全4巻)が必要になる。

980円で月300本まで有料記事を読めるお得なシンプルコースのお申し込みはこちら