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 日韓関係が冷え込んでいます。1年前に韓国の大法院(最高裁判所)が日本企業に対し、戦時中に動員された韓国人元徴用工らに慰謝料の支払いを命じる判決を出したことなどが背景にあります。韓国では日本製品の不買運動が起き、来日客も急減しています。こうしたなか、「お隣さん」との交流をどう考えたらいいでしょうか。

困難な時、これまでも

 互いの友好を深める「日韓交流おまつり」が9月28、29の両日、東京・日比谷公園で開かれ、最多だった昨年に次ぐ7万2千人が訪れました。日韓の太鼓共演で始まった開会式で、主催する日韓の実行委員会の3人の委員長があいさつ。佐々木幹夫・日韓経済協会会長(82)は「こういうときだからこそ、両国の相互理解の原点ともいえる草の根交流の継続が必要」とあいさつ。呉公太(オゴンテ)・前在日本大韓民国民団団長(73)も「関係が悪化したとき、困難を乗り越えたのを底辺で支えたのが民間交流。困難な時期ほど『おまつり』が輝きを発する」と述べました。

 「おまつり」は2005年にソウルで始まりました。1965年の日韓国交正常化から40周年の記念行事の一つとして日韓両国政府が主催し、翌06年から定例化。09年から東京でも催されています。

 「ソウル・ジャパン・クラブ」理事長時代から運営にかかわってきた高杉暢也さん(77)によると、当初から日本の歴史教科書問題など日韓間がぎくしゃくする問題はあったそうです。交流行事は「悪天候でも常に進むべき方向を照らしてくれる灯台の光のような友好のシンボル」だといいます。

 李明博(イミョンバク)大統領が竹島(韓国名・独島)に上陸した翌年の13年も開催が危ぶまれました。14~17年に実行委員会事務局長を務めた権鎔大(ゴンヨンデ)・韓国アシアナ航空の元常務(72)は「企業の協賛も減っていたが、『今こそやるべきだ』と声があがった。困難な時期を何度もくぐり抜けてきたのです」。(編集委員・北野隆一、太田成美、黒田壮吉

会場で聞いてみました

(来場者は)

 友人と来た都内の大学生、田中梨花さん(19) 高校のとき、韓国人の友人ができて韓国に興味を持った。不買運動をするような国に日本人が行くのは危ないと、親には止められたけど、来年4月に韓国に留学予定です。メディアは韓国の印象を悪くする情報を繰り返し、流しすぎているように思う。個人同士は仲良くできるし、心配はない。

 埼玉県鴻巣市から訪れた会社員、加藤うしおさん(55) 来場は5回目。前の会社の同僚に勧められて韓流ドラマにはまり、4回訪韓しています。今日交流した韓国の学生は、歴史認識についてしっかり教育を受けていて、日本の教育制度と違いがあると思いました。日本政府は上から目線ではなく、韓国の人の立場に立って考えたらいいのではないかと思います。

 授業の一環で訪れた八王子市の帝京大学1年、隅田あきらさん(18) 他国では隣国の言葉を学ぶことがよくあるが、日本は島国なので学ばない傾向にある。なぜかなと思って韓国語の勉強を始めました。歴史認識の問題は、日本から見た歴史だけじゃなく、韓国から見た歴史も勉強して考えていきたい。違う国なので、いさかいが起こることは当たり前。日韓関係の悪化はしょうがないとも思う。今の状況も、理解し合うのに必要なことなのかなと思います。

(ボランティアは)

 パク・ダハンさん(23・高麗大) 日本政府の国際交流事業で来日しました。こんなに多くの人が集まっていて意外でした。今日のように日韓の人が普通の話をして友達になる、その過程が大切だと思います。今、韓国政府と日本政府は対話を全然していない。民間交流ではそのコミュニケーションが可能です。コミュニケーションをしていないと、誤解がどんどん大きくなるかもしれません。難しい問題もやさしい態度で接すれば、良い解決策が出るかもしれません。

 洪純央さん(19・桃山学院大) 在日3世です。両国の関係悪化のニュースをみて、日本に住む韓国人として胸を痛めてきた。近い存在の両国が仲良くできたらいいのに。過去はどうすることもできない。これからの関係をどうするかが大切だと思う。一人でも多くの人に両国に関心を持ってもらえる活動に関わっていきたい。

 金子卓生(たかお)さん(23・早稲田大) おまつりに関わるのは高校2年生のときからで、5回目の参加です。今年は開催されるのか不安でしたが、いつもと変わらない雰囲気で安心しました。輸出規制などで経済関係にもひびが入り、関係悪化が長引かないか心配です。ただ、政治には期待できない。日韓関係改善に特効薬はなく、市民間のパイプを太くしていくしかないと思います。

「必要なものは買う」けれど

 日本製品の不買運動が7月から続く韓国。実際に街では何が起きているのか。週末に若者でにぎわうソウル・弘大(ホンデ)を記者が歩いた。

 日本からの観光客にも人気の弘大は、おしゃれなカフェやファッションビル、ブティックなどが立ち並び、流行に敏感な若者が集まる街。日本風の居酒屋やラーメン店が多いのも特徴だ。昼下がりに散歩中、大正昭和期の古びた日本家屋をイメージし、「ヤママル醬油味噌(しょうゆみそ)」「太田胃散」などの日本語の看板が際立つ居酒屋に目がとまった。

 「日本戦犯企業のビールは販売していません」。韓国語で表示した入り口前の垂れ幕には、韓国国旗の太極旗や不買運動を象徴するロゴも描かれる。

 従業員の男性(23)によると、不買運動で来店客が3割減り、7月末から掲示した。「日本のビールを置いていると、気にする客が多い。今は韓国のビールしか扱っていない」。「全ての食材は韓国産」とも周知するが、和食に必要な調味料などは「日本産を使っている」と小声で話した。

 この店の近くには、廃業した和食店も。「お肉のおいしい…」と書かれた木製の看板を掲げた店の前には、ペットボトルやたばこの吸い殻が散乱していた。

 不買運動前は行列ができ、メディアにも取り上げられるほどだった人気和食店も苦戦する。日本で修業を積み、約10年前に開店させた男性店主(44)は「7月から急に客が減り、売り上げは4割ダウン。影響は続いており、開店以来で最低の状況だ。この先どうなるかわからない」と嘆く。日韓関係の悪化は「韓日双方の政権が子供じみた自尊心のために争い、メディアが対立をあおっているためだ」と憤る。

 この店で好物の唐揚げ定食を食べた大学生の権五雲さん(19)は「不買運動には参加しない。周りの目も気にしない」と話す。日本のアニメが大好きという。ただ、「安倍政権の対応には私も不満だ。周りにも日本の製品を買わないようにしている人たちはいるが、理解はできる」と話した。

 次に、弘大の中心街にあるユニクロの店舗をのぞいた。客足はまばらだ。店内にいた男子大学生(29)によると、韓国ではユニクロ製品を人気ユーチューバーが紹介したこともあり、不買運動前は若者の支持を得ていたという。

 ユニクロで買い物を終えた会社員の女性(33)は「最近はあまり来たくないが、必要なものは買う。売れ残ったニットを安く買った」。ただ、夏休みの旅行先は日本からベトナムに変えた。理由は「嫌韓が広がっていると聞き、危険な目に遭うかもしれないと思った」。無理のない程度に不買運動に参加しているといい、以前はよく食べていた日本の菓子は控えているという。(ソウル=鈴木拓也)

激論・批判で感覚広がった

 絵本作家の浜田桂子さんは韓国、中国の有志と「日・中・韓 平和絵本」の制作を続けてきました。国をまたぐ取り組みについて聞きました。(聞き手・北野隆一)

       ◇

 日本の絵本作家4人が2005年に中国、翌年に韓国の作家4人ずつに「一緒に平和の絵本を作りませんか」と呼びかけました。小泉純一郎首相(当時)が靖国神社を参拝し、その後中国で不買運動、中韓両国で反日デモが起きていた。田島征三さんが「アジアの作家と向き合おう。ぼくらは政治家じゃないから、気持ちを重ねられるよ」と発案しました。

 下描き本を互いに見せながら進め、最初の3冊が出たのは11年4月。日本からは私の本「へいわってどんなこと?」が刊行されました。下描き本では、戦争の場面の絵に「せんそうをするひこうきがとんでこない」「ばくだんがおちてこない」「いえやまちがはかいされない」と文を添えました。子どもが自分から戦争を起こすことはないと、受け身で書いたのです。

 でも韓国で、作家や絵本編集者から厳しく指摘されました。「日本人は『原爆を投下されたり空襲されたりしたくない』と戦争を受け身で考える。自分たちが加害者だったことを踏まえた、『二度と傷つけない』という考え方は希薄ですね」

 そこで、子どもの主体性を尊重した能動的な表現に改めました。「せんそうをしない」「ばくだんなんかおとさない」「いえやまちをはかいしない」と。激論を交わし、批判されたおかげで、私の感覚は広がり、信頼を深めることができました。

 17年までに3国で10冊を刊行。でも韓国の権倫徳(クォンユンドク)さんの本だけは日本で出せなかった。慰安婦問題が題材だったからです。

 権さんは元慰安婦・沈達蓮(シムダリョン)さんの証言をもとに「花ばぁば」という本を描きました。ご自身も幼いころ性的虐待を受けた経験から、被害の痛みを表現し、性暴力をなくしたいとの思いを込めました。

 当初は、長く封印していた負の感情がほとばしり、おどろおどろしい絵になった。権さんが韓国で子どもや母親たちに下描き本を見せると「こんな怖い絵は見たくない」と言われ、「日本嫌いの子をつくる絵本にしたくない」と悩んでいました。

 私たちは慰安婦問題に詳しい日本の専門家の助言を求め、議論を重ねました。権さんは何度も描き直し、表現が昇華されていきました。日本では18年、ようやく引き受けてくれる出版社があり、刊行されました。

 韓国では私の絵本をテーマにコンサートが企画されたり、中学教師が入学式で朗読したりしていると聞いています。絵本は国境を越えていくのだと実感しました。

相手の国を学ぶ余裕ないの?

 朝日新聞デジタルのアンケートに寄せられた声の一部を紹介します。

 

●考えが違うのは当たり前

 国が違えば考え方も違うという当たり前のことが、韓国だとそう捉えない人が多いのはなぜか。それは顔かたちや文化が似ていることで「自分たちと同じはずだ」と思うからなのでしょう。相手の国との違いを冷静にしっかり学ぶことが解決への近道なのですが、今の日本にはそんな余裕がないのでしょうか? 少し悲しい気持ちになってしまいます。(東京都・50代男性)

 

●政権交代で約束反故とは

 請求権協定も慰安婦合意も反故(ほご)にされた。国と国が約束をしても政権が代わればどうなるか分からないのであれば、今後手を握ることはありえないだろう。日本はこれから韓国との付き合いは相応の態度でやって行くべきだ。(埼玉県・60代女性)

 

●好き嫌いは学んだ後に

 韓国を敵としてみるようなメディアの報道は良くない。視聴者もメディアをうのみにするのではなく、自分自身でしっかり学習したりし、理解した上で好き、嫌いが言えるとおもう!(沖縄県・10代女性)

 

●挑発に乗らず冷静な外交を

 仕事で接する韓国人は皆インテリジェンスが高く、反日感情をあらわにする人はおらず、お互いの文化を尊重した付き合いができていた(ビジネスの関係だからであるだろうが)。個人レベルの付き合いに問題がないのに国家間で関係性がこじれるのは、政治家に原因がある。国内の不満から目をそらせるために反日スローガンを掲げて支持回復に利用しようとする韓国政府も、それにまんまと乗せられる韓国国民も、先進国の仲間入りした以上はそろそろ幼稚な内政外交から脱却していただきたい。日本はその安い挑発に乗ることなく、これまでのようにカネで解決して甘い汁を吸わせることもなく、冷静かつ断固たる外交で対処して欲しい。(京都府・30代男性)

 

●友人の日本語に歴史知る

 アメリカへの留学時たくさんの韓国からの留学生と友達になった。彼女たちはいつもたくさんの手料理を振る舞ってくれ、同じように母国を離れて生活する大変さを理解し励ましてくれた。私は一度も彼女たちに嫌な印象を抱いたことはないし、帰国した今でもとても大切な友人たちだ。ある時友人の1人がお箸の事を「ハシ」と呼んだことがあった。なぜ日本語が分かるのか聞いたところ祖母がそう呼んでいたらしい。なぜかと聞くと気まずそうに笑いながら昔は韓国は日本の領土だったからと言った。その時私はハッとさせられた。それまで帝国主義だったのは欧米の国だけだという認識を抱いていた。しかし日本も同じ他国を侵略する帝国主義だったのだ。(神奈川県・20代女性)

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