拡大する写真・図版「ある惑星の悲劇」から。老いた草河達夫さんが、若者に贈る言葉が最後につづられる(C)旭丘光志

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 「ある惑星の悲劇」。そんな題名の劇画が、半世紀前に出版された。広島原爆で家族を失った男性が、東京で天涯孤独な生活を送る中でつづった手記をもとにしたものだ。それが今年、装いも新たに復活した。

息子失い、妻も奪われ…80ページの手記

 41歳の時に広島の爆心地から900メートルの自宅で被爆した故・草河(くさか)達夫さんの手記「或(あ)る惑星の悲劇―在東京・広島に於(お)ける一被爆者の記録」を、現在は作家として活動する旭丘(あさおか)光志さん(81)=埼玉県三芳町=が劇画化。1969年夏、「週刊少年マガジン」(講談社)で3回連載された。連載後「元の手記も読みたい」との声が編集部に寄せられ、劇画と手記を一緒にした単行本が同年12月に刊行された。

拡大する写真・図版「ある惑星の悲劇」から。「生きながら 焼かるる人を まのあたり見つつ ほどこすすべなきを泣く」。草河達夫さんが詠んだ和歌が随所に出てくる(C)旭丘光志

 草河さんは誤嚥(ごえん)事故で3歳のひとり息子を失い、東京から移り住んだ広島で被爆。犠牲になった妻は遺骨すら見つからなかった。一人で東京に戻り、惨禍から20年以上を経て病魔に襲われながら、「あの夏」の体験を80ページの手記に記した。

 「生きながら焼かるる人を目のあたり見つつ施す術なきを泣く」

 「爆死せし妻の遺骸を焼野原 尋ね求めつ見るを怖るる」

「もう一度光をあてたい」と作品を掘り起こしたのは、少年マガジン掲載当時、この漫画を読んで衝撃を受けた編集者でした。記事の中盤以降では、この作品の他のコマも複数ご覧になれます。

 手記は、こうした被爆体験を詠…

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