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きょうも傍聴席にいます。

 暑さが続いていた今年7月末の夜、東京都足立区の団地の一室。息子(61)は91歳になる父の荒い息づかいで目が覚めた。「フー」「フー」と胸を上下させた後、呼吸は徐々に弱くなり、消えた。40年にわたる二人暮らしが終わった。だが、息子は誰にも死を伝えず、そのまま一緒にいることを決めた。逮捕されるまでの3週間余り、息子は二人で暮らした部屋で何を思い、何をしていたのか。

 息子は父の遺体を24日間にわたって放置したとして、死体遺棄罪に問われた。11月5日、東京地裁で開かれた初公判。息子は灰色のトレーナーにズボン姿で細身の体を固くして直立し、検察官が読み上げた起訴内容について「(間違っているところは)ございません」とはっきり答えた。

 検察官と弁護人の説明や、息子が朝日新聞の取材に答えた内容によると、事件に至る経過はこうだ。

 両親と息子の一家3人は、息子が小学校に上がるころから足立区の団地に住み始めた。息子は定時制の高校を卒業後に衣料品の販売店員として働いたが、二十歳のころに母親が乳がんで死亡。父と子ふたりきりの生活になった。

 着物の友禅染の仕事で家計を支えていた父は、母の死を機に、より安定的な仕事を求めて高校の用務員に転職。一方で息子は28歳のころに仕事を辞めた。トラブルがあったわけでも体調が悪かったわけでもない。特に理由はなく、自宅に引きこもるようになった。父に促されて2~3年は就職活動を続けたが、うまくいかずにあきらめた。

 買い物に食事の用意、洗濯、掃除。家事に精を出すようになると、父は何も言わなくなった。生活費は父の給料や年金でまかないながら、30年ほど過ぎた。

 ほとんど病気のなかった父に異変が生じたのは、今年7月26日のことだ。好きなえびの天ぷらも食べなくなり、口にしたのはサラダの上にのせたミニトマトだけ。「病院に行く?」と尋ねても答えず、布団で寝ている状態が続いた。

 31日の午前3時半、潮が引くように息を引き取った。体を揺すり、胸に手を当てて鼓動を確認し、鼻に耳を近づけて死を悟った。

 それからどうしたのか。息子は被告人質問で、こう説明した。

 弁護人「亡くなったのに気づいて、真っ先に何をしましたか」

 息子「(タオルで)体をふいて、下着とパジャマの着替えをしました」

 弁護人「それから3週間以上、どうしていた」

 息子「毎日、そうやって体をふいていました」

 弁護人「遺体はどうなった」

 息子「何日かして、虫がわいてきました。だから、それも一緒にふくようになりました」

 検察官が法廷で明らかにした供述調書によると、息子は病院に通報しなかった理由をこう答えたという。

 「通報しておやじを連れて行かれたら、本当にひとりぼっちになると思って、救急車を呼べなかった。ひとりになるのが怖かった。近くにいてほしかった」

 友禅染の仕事をしていたころは感情をあまりあらわにせず、黙々と染め物に打ち込んでいた。手を上げるようなことは絶対にしない温和な父だった。母の葬式のとき、涙で目を腫らした父から「2人で頑張っていこうな」と言われたのを覚えている。

 父が外で働き、自分は家事をする。それでなんとか生きてきた。数十年前に一度だけ、親子で九州を旅行したことがある。電車で各県を周り、熊本で阿蘇山の大自然を感じた。鹿児島で桜島の迫力に圧倒され、大分で別府温泉につかった。一家3人で暮らした頃の幸せには及ばないけども、前を向いて歩いていると実感できた。

 父は75歳まで用務員として働きながら、いつも息子の体調や仕事のことを気遣ってくれた。そうやって追い詰められることなく、これまで生きてこられた。遺体をきれいにしてあげたいという気持ちは、自然にわいた。顔や脇をタオルでふきながら、感謝の念を届けているつもりだった。

 だが何日かたつと、遺体には変化が現れはじめた。全身から透明な体液がたれはじめ、布団に染みていく。夏の暑い時期、においも強くなってきた。周りの住人に迷惑をかけないよう、布団と床の間にビニールを敷き、消臭スプレーでごまかした。

 傷みが激しくなるにつれて、「かわいそうなことをしている」という気持ちになった。そんなとき、警察官が異臭騒ぎを聞いてやってきた。最初は「部屋の中は見せたくない」と抵抗したが、心のなかではほっとしていたという。

 被告人質問では、検察官が放置の理由を突っ込んで問いただした。

 検察官「8月24日に警察官が来なければ、どうするつもりだったんですか」

 息子「特にどうという考えはありませんでした。誰にも言えなかったし、そのままにしていたと思う」

 検察官「何が怖かった」

 息子「見つかることが。見つかったら自分が1人になる怖さがあった」

 検察官「ご遺体が変わっていく様子を見て、何も思わなかったんですか」

 息子「やはり、かわいそうだと思いました」

 検察官「周囲に迷惑がかかるとは」

 息子「もちろん思いました」

 検察官「それでも孤独になりたくないという気持ちを優先させたということか」

 息子「……迷惑をかけたくなかった。ですが、どうしても言い出せませんでした」

 検察官「そのままにしたら、(父の)年金が払い続けられていたのでは」

 息子「取り調べでそう言われて、気づきました」

 銀行の口座には、父の死亡後も1カ月分の年金が振り込まれていた。息子は手をつけていないが、検察官は論告で「不正受給にもつながる悪質な事案だ」と主張し、懲役1年を求めた。

 一方で弁護人は、息子の心情に理解を求めた。「親戚づきあいもほとんどなく、会話ができるのは父ばかり。知人や友人もおらず、きわめて孤独だった。強く非難できない」

 最終陳述で、息子は「大変な親不孝をしたと深く反省しております。外に出させていただいた時には、すぐに(遺骨を保管している)区役所に行って引き取って、一日も早く供養してやりたい」と話した。

 8日の判決。村山智英裁判官は、懲役1年とした上で2年の執行猶予をつけた。「お父さんが亡くなったことを届けることで一人になるのが怖かったというのは、心情としては理解できる」としつつ、「供養もしないで1カ月近く放置したことは見過ごすことができない」とも指摘した。

 息子は直立不動で、指先までまっすぐ伸ばして判決を聞いた。最後に村山裁判官が「お父さんをしっかり供養してください」と告げると、小さな声で「はい」と応じた。

 思い出の詰まった団地には引き続き住むことで話はついている。息子は取材に対し、「父の遺骨を八王子にある母の墓に入れたら、仕事を探したい」と話した。(阿部峻介)