生まれる前の5敬遠…明徳ナイン、27年前の因縁を糧に
(15日、明治神宮野球大会高校の部 明徳義塾8―5星稜)
選手たちにとっては、生まれる前の出来事だ。1992年夏の甲子園、明徳義塾は星稜の松井秀喜選手(元ヤンキース)を5打席連続で敬遠し、勝利を手にした。あれから27年。再戦に挑んだいまの明徳の選手はそれぞれの解釈で、あのゲームを糧にしていた。
明徳のエース新地智也(2年)は、まっさらな気持ちで先発のマウンドに立った。「自分は(過去の対戦などを)意識しないタイプ。自分のピッチングをしたかった」。ただ、その投球には、5敬遠にまつわる歴史が息づいていた。
父の由知さんは明徳野球部OBで、あの日の試合を甲子園のスタンドから見ていた。その父に小学生のころ、こんな風に教わった。「敬遠は相手を敬うと書く。逃げではない。一つの作戦」
「実力は相手が上」と新地。星稜の力を認めて、立ち向かった。130キロほどの直球で両コーナーを丁寧に突いていく。得点を奪われても、「守備からリズムを作る明徳の野球を」。自分のやるべき役割に向き合い続けた。5失点ながら、味方が逆転した四回以降はリードを許さなかった。
捕手で主将の鈴木大照(2年)は、当時の一戦をテレビでたびたび見て知った。「作戦だから、悪いことはない。でも、自分たちはそういう作戦がなくても勝つ」と、強い思いで全国の舞台にやってきた。
心に決めていたのは「逃げないこと」。意識していた星稜の4番・内山壮真(2年)への第1打席では四球を与えたが、逃げずに内角を攻めた結果だった。
そんな姿勢は、打撃にも好影響をもたらした。相手は今夏の甲子園を経験した好投手だったが、「1打席のなかで1球は甘い球があるはず。初球から逃げずに振ることができた」。五回、1死一、三塁で打席に立つと、甘く入った初球の変化球を捉え、左翼へ3点本塁打で勝利に貢献した。
因縁の対決を制し、「強い相手に、自分たちの野球を貫けた。この伝統あるチームで、胸を張って野球をしたい」。鈴木は27年前と変わることのない、縦じまのユニホームを誇らしげに見つめた。(小俣勇貴、高岡佐也子)
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