教皇がヒロシマの心を震わせた 38年前、冬の日の熱気

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 ローマ・カトリック教会の教皇が24日、38年ぶりに被爆地・広島を訪れる。「平和の使者」の再訪は、ヒロシマにとってどんな意味があるのか。1981年のヨハネ・パウロ2世の訪問、そして原爆投下当時も振り返りながら考える。

【上】温かかったポケットのロザリオ

 大きく引き伸ばしたカラー写真。1988年4月、バチカンで撮影されたものだ。広島市西区の高橋史絵さん(82)が大切にとっているアルバムの中にある。

 ローマ・カトリック教会の当時の教皇、故ヨハネ・パウロ2世と固く握手しているのは、被爆者で夫の昭博さん(2011年に80歳で死去)。教皇との出会いと再会は、昭博さんにとって心の支えだったという。

 冷戦さなかの81年、ヨハネ・パウロ2世が広島を訪れたとき、昭博さんは平和記念資料館の7代目館長だった。教皇は顔をしかめて遺品と向き合うと、「あなたが館長としてではなく被爆者として案内してくださったことに感謝する」と語り、ケロイドが残る昭博さんの右手を固く握った。

 そして、教皇は歴史に残る「平和アピール」を宣言した。

 「軍備縮小とすべての核兵器

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