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 ハンセン病患者とされた男性が、無実を訴えながら殺人罪などで死刑となった「菊池事件」。その再審請求をめぐる国家賠償請求訴訟が20日、熊本地裁で結審する。感染の恐れなどを理由に事実上非公開の「特別法廷」で裁かれた当時を知る元患者は、顧みられなかった人権と尊厳を回復しようと、原告に加わった。

 1951年。よく晴れた秋の日だった。ハンセン病の国立療養所「菊池恵楓園(けいふうえん)」(熊本県合志市)の入所者の自治会事務所は、白黒の鯨幕で覆われていた。当時から療養所で暮らす元患者の長州次郎さん(92)=仮名=は、その異様さをいまも鮮明に覚えている。

 その日、ここで裁判が開かれるのだと聞いていた。患者とされた男性が、被害者宅にダイナマイトを投げ込んだらしい、とも。後に「菊池事件」と呼ばれた事件だ。

 裁判を見ようと、ほかの入所者も集まった。建物の周りでは、療養所の職員らが目を光らせていた。少しでも反発すれば監禁室に閉じ込められ、1週間近く食事を減らされていた時代。みな諦め、帰っていった。

 特別法廷では裁判官、検察官や弁護人は白衣に手袋を着用、証拠物などは火箸や割り箸で扱ったとされる。翌年もその翌年も、園内で裁判が開かれたが、建物はいつも幕で覆われ、何を言っているのかも聞こえなかった。裁判官や検察官とみられる人が7人ほど、防護服に長靴姿で入っていったとか、被告の男性が「うそばかり言って!」と叫ぶ声を聞いたという話を耳にした。閉ざされた園の中で、その状況を問題視できる人はいなかった。

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