拡大する写真・図版 鎌倉芳太郎が1924(大正13)年に撮影した首里城正殿=沖縄県立芸術大学付属図書・芸術資料館所蔵

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 首里城の火災は、沖縄にルーツを持つ人たちの心を大きく揺さぶった。首里城は20世紀前半にも取り壊しの危機にあったが、琉球芸術に魅せられたのちの人間国宝・鎌倉芳太郎の尽力に救われた。いまなお、鎌倉は首里城を見守っているという。代々の一族が琉球王国に仕えたというノンフィクション作家の与那原恵さんがつづる、琉球文化の象徴の歴史とは。

首里城は語りかけた

 首里城を眺めるのに私が最も好きな位置は、沖縄都市モノレール「ゆいレール」儀保駅のプラットホームだ。眼下に家々が立ち並び、その彼方(かなた)、丘の頂点に緑の木々で囲まれた赤い城の姿がある。儀保駅前には、琉球王国時代からつづく私の一族の本家が今もあり、そこから首里城に向かえば、父が生まれた首里当蔵町となり、目の前に水をたたえた龍潭(りゅうたん)が広がる。王国時代、この人工池では中国の使節を迎えて華やかな宴が繰り広げられた。

よなはら・けい 1958年東京生まれ。鎌倉芳太郎の評伝「首里城への坂道」で河合隼雄学芸賞、石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞受賞。韓国でも翻訳刊行される。最新刊は「赤星鉄馬 消えた富豪」

 私の一族は代々琉球王府に仕えてきた。中国皇帝への使節(進貢使)の一員として北京への長旅をした者や、いわゆる「琉球処分」の過程で東京に赴き、明治政府と折衝するとともにイギリスの外交官アーネスト・サトウに琉球の窮状を訴えた者などがいる。祖先たちの職場でもあった首里城だが、何よりも城のたたずまいや城壁の美しさに感嘆した。それは威容を誇る城ではなく、争いのための城でもない。首里城は、アジア諸国と交流し、豊かな文化を築いた小国琉球のあり方を現代の私たちに語りかけてきた。

取り壊しの危機

 今から百年近く前の1921年…

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