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(20日、明治神宮野球大会大学の部 慶大8―0関大)

 関大と慶大は47年前にも対戦していた。関大OBで、当時マウンドに立っていた山口高志さん(69)はこの日、スタンド席から後輩を見守った。プロ野球阪急(現オリックス)時代、豪速球で一時代を築いた右腕は、どんな思いだったのか。

 両校は第3回大会準々決勝で顔を合わせた。エースだった山口さんは慶大相手に無安打無得点試合を達成し、1―0で勝利。その勢いのまま初優勝を飾った。

 卒業後は社会人・松下電器を経て、1974年秋のドラフト1位で阪急入り。豪速球で鳴らし、黄金時代の一角を担った。その後、阪神などでコーチを務め、4年前にアドバイザリースタッフとして母校に戻ってきた。長所を引き出す指導で多くの選手が芽を出し、神宮大会での決勝進出の陰の功労者でもある。

 この日、関大打線は慶大の先発左腕・高橋佑樹(4年、川越東)の前に七回まで一人の走者も出せなかった。「ヒットも打たれたくないし、走者もだしたくない」と緩急をつけた高橋の投球に、的を絞らせてもらえなかった。当時とは正反対の展開となり、山口さんは「ノーヒットノーランはやめてくれよー」と心配顔だった。

 八回無死、4番の野口智哉(2年、鳴門渦潮)がチーム初安打を放つと、山口さんはほっと胸をなで下ろした。ただ、反撃は実らず、完封負け。厳しい表情で試合終了の瞬間を見つめ、試合後は開口一番に「しっぺ返しをやられるところでした」。優勝はならなかったが、「最後まで戦ってくれてありがとうと言いたい」と、後輩たちの奮闘をねぎらった。(高岡佐也子