拡大する写真・図版 いまの六番町周辺ではなかなか野良猫を見かけない。写真は六番町のマンションで飼われている猫=千代田区六番町、鬼室黎撮影

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 軽妙洒脱(しゃだつ)な文体で今も読み継がれる作家の内田百閒(ひゃっけん)(1889~1971)は、『ノラや』で愛猫の失踪と捜索のドタバタぶりを哀感たっぷりにつづった。この騒動から約60年。名うてのペット探偵とともに、記者は百閒の旧居跡周辺の「猫の道」をたどって、当時の捜索手法を検証した。すると浮かび上がるいくつもの深刻な問題点。いざ自分の猫が失踪したらどうすればよいか。愛猫家のみなさんは、ぜひ、ひとごとと考えずに、お読みください。

ペット探偵、発見率は9割

 記者とともに検証したのは、東京都豊島区に住むペット探偵の白澤実さん(69)。白澤さんは大学の獣医科で学び、84年に開業したペット探偵の先駆者。これまで犬や猫などの約7千件の捜索依頼を受け、猫の発見率は約9割に達する。作家の野坂昭如氏の猫を見つけたこともあるという。

 秋のある日、JR市ケ谷駅で待ち合わせ、東京都千代田区六番町に向かった。1957(昭和32)年3月27日、67歳だった百閒の愛猫ノラが自宅を出たまま、こつぜんと姿を消した街だ。旧居跡にはオフィスビルが立っている。

 『ノラや』では、ノラは野良猫が産み落としたオスで、薄赤のトラブチに白、しっぽは太く先が曲がっていたとしている。百閒と、同居の内縁の妻は、すし屋の玉子(たまご)焼きや高価な牛乳をやり、我が子のようにかわいがった。

現場は武家の町、東京・番町

 捜索の検証を始める前に、町の歴史を少々ひもとこう。徳川家康は江戸城の西の防備に大番組の旗本を配し、一番町から六番町まで武家屋敷を並べた。明治維新後、官吏の居宅などが立ち、45年の東京大空襲で焼け野原に。五番町に住んでいた百閒もこの時に焼け出され、戦後、六番町に移った。今も一番町からその名をとどめる町名で、一帯は番町(ばんちょう)地域と呼ばれる。

 六番町町会長で地域の歴史を調べている新井巌さん(76)は町の火災保険特殊地図(火保図)の写しを持っている。保険料率の算定に使われた53年の地図で、六番町は一軒家ばかりの住宅地だ。五番町と六番町の間の通りから路地に入ると、百閒の本名「内田栄造」が見える。「今も江戸時代の切り絵図の区画とほぼ同じ。他の主な通りも変わっていません」。火保図の区画も今の地図とほとんど変わらない。

捜索方向が見当違い?

 『ノラや』によると、失踪から4日目の午前7時半すぎ、「死んでいないか」と心配した内縁の妻が自宅前の路地を出て西に向かい、五番町との間を東西に延びる通りの先の江戸城外堀跡の土手を捜したようだ。果たして、この方角で良かったのか。白澤さんは、土手を捜索してもノラが見つかった可能性は低かったとみる。「土手の向こうを走る国鉄の電車の騒音を嫌がったでしょう」

 ノラはなぜ失踪したのか。白澤…

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