拡大する写真・図版 菊乃さん(左)の三味線にあわせ、舞を披露する菊愛さん(中央)ときく浪さん=2019年12月5日、奈良市の菊水楼、岡田匠撮影

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 三味線にあわせ、金屛風(びょうぶ)を背に舞う。腰から垂れただらりの帯が揺れ、結った髪に花かんざしが光る。

 舞子の菊愛(きくえ)さん(20)、きく浪(なみ)さん(19)が昨年12月、奈良公園の近くの料亭・菊水楼に上がった。ならまちに残る花街「元林院(がんりんいん)」を盛り上げようと、県内の社長や支店長ら約100人がメンバーとなり、毎月開いているお座敷だ。

 そんな社長のひとりは「奈良からお座敷文化の火を消してはいけない。成長していく舞子の姿を見るのも楽しみ」。菊愛さんは応じるように「朝から稽古して、新しい踊りを覚えています」と話す。

 その菊愛さん、きく浪さんに加え、菊まめさん(17)の3人の舞子を育てているのは、元林院のお茶屋「つるや」の芸妓(げいこ)・菊乃(きくの)さん(47)だ。明治に開けた元林院は最盛期の昭和初期、十数軒の置屋が並び、約200人の芸妓や舞子がいた。高度経済成長が終わったころから衰退し、今では芸妓は菊乃さんだけだ。

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 約30年前、菊乃さんが元林院にきたときは先輩芸妓のお姉さんが30人ほどいた。ならまちを着物で歩く姿が絵になった。

 「舞子が生活に溶け込んで、ならまちには舞子が普通に歩いていると思ってもらえるようにしたい」

 菊乃さんは2012年、「奈良・元林院 花街復興プロジェクト」を始めた。途絶えていた舞踊公演「大和をどり」を復活させたほか、岐阜や福井など各地の花街が年1回、奈良に集まって踊りを披露する公演「ならまち花あかり」を催す。舞子の育成にも力を注ぐ。

 18年春、愛媛県西条市の高校を卒業した菊愛さんがやって来た。ホテルやテーマパークで働きたかったが、高校3年の6月、舞子のドキュメンタリー番組をインターネットの動画で見て花街に憧れた。「日本ならではの独特な世界で芸に生きる女性がかっこよかった」と振り返る。

 父は会社員、母は主婦。菊愛さんはひとり娘。「お座敷でお酌することに父は不安だったが、やりたいことをさせてあげたいと母が背中を押してくれた」と言う。

 花街といえば京都のイメージが強かったが、京都の花街は中学を卒業してすぐに入る場合が多い。高校3年だった菊愛さんは菊乃さんと面接し、「芸はもちろん、花街の復興に前向きで、ものすごいエネルギーを感じた」と明かす。

 その年の11月、千葉県東金市出身の菊まめさんが入った。小さいころから正月に晴れ着を着させてもらい、着物が好きになった。中学1年で進路を考え始め、花街に興味を持った。つるやが舞子を募っていることをインターネットで見つけ、中学卒業後、しばらくして元林院へ。「京都に負けないぐらい、奈良の舞子のことも知ってほしい」

 続いて19年春、きく浪さんが来た。「英語が話せる舞子」だ。大阪市で生まれ育ち、花街の文化を世界に広めたいと高校時代に英語を猛勉強した。大学に進んで海外留学も考えたが、将来に就ける職業が思い描けなかった。自分は本当に大学に行きたいのかと立ち止まった。「大好きな花街の世界に飛びこもう。舞子になって、海外のお客さんに日本文化の魅力を英語で伝えたい」と意気込む。

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 3人は毎日、日本舞踊や三味線といった芸の稽古のほか、茶道や華道、書道を習う。菊乃さんが言う。

 「ならまちにお茶屋も置屋も消え、嘆く人もいる。でも現代風のおしゃれな店が増え、若者も外国人も舞子も歩くならまちがいい」

 そのならまちで舞子を見た子どもたちが舞子をめざす。そんなならまちを夢みている。(岡田匠)