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 78年前の1941(昭和16)年12月8日、旧日本軍がハワイの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争の火ぶたが切られた。千葉県船橋市行田にあり、攻撃を命じた暗号電文「新高山(ニイタカヤマ)登(ノボ)レ 一二〇八(ヒトフタマルハチ)」を発信した海軍無線電信所の歴史を伝えようと、郷土史研究家の滝口昭二さん(82=成田市宗吾4丁目)が「天に聳(そび)ゆる無線塔 行田無線史」を自費出版した。「東洋一とうたわれた無線塔が船橋にあった歴史を再認識してほしい」と話す。

 海軍無線電信所は15(大正4)年に旧海軍が設置。直径約800メートルあった円形の外周道路の中心に高さ200メートルの主塔があり、周囲の副塔18基に向かって放射状にアンテナ線が伸びていた。巨大な傘のような構造で、当時は「東洋一」と称された。その後、設備が更新されて敷地も拡大。42年ごろに高さ182メートルの鉄塔6基などが建てられた。戦後、米軍から返還され、外周道路の内側に団地や学校、公園などがつくられた。

 滝口さんは「子どもの頃から無線塔を見て育った。シンボル的存在だった」と振り返る。船橋市の小中学校の教員を退職後、市史編さん室勤務時に同僚から電信所の資料を譲り受けた。土地の買収や農家への補償関係の書類で「資料が少ない電信所に関する一級品のものだった」という。

 持ち前の好奇心に火がつき、9…

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