北京=平井良和
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王林起さん(左)と養母の賈鳳朝さん=2019年4月28日、北京、平井良和撮影
北京市内のマンション。車いすに座った養母の賈鳳朝(チアフォンチャオ)さん(96)の手を、王林起(ワンリンチー)さん(84)が優しく握った。賈さんは脳血栓を患い、今は話をすることができない。視線を向けた賈さんに、王さんは「12歳差のお母さん。僕にすべての愛情をくれた」と、優しいまなざしを返した。
王さんは山形県で「渡部宏一」として生を受け、5歳の時、家族と共に旧満州に渡った。戦争の混乱で残留日本人孤児となり、中国の養父母のもとで「王林起」として育てられた。大陸で過ごした年月は、もうすぐ80年になる。
王さんの記憶にある最初の中国は、1940年秋、列車から見た荒涼とした大地の風景だ。緑の中の小川でカニを捕った山形と違い、寂しさを感じたのを覚えている。林口県(現在の黒竜江省林口県)で農業を始めた両親と弟2人、妹1人の6人家族。だが、家族で一緒に過ごした時間は短かった。
国民学校4年生だった45年春、父が軍に現地召集され、間もなく消息が途絶えた。ソ連軍の攻撃からの逃避行の中、妹や弟は行方知れずに。たどり着いた奉天(現瀋陽)の収容所で寒さと飢えに耐えていたある夜、乱入してきたソ連兵に母が銃剣で刺された。「宏一、お前」。母はそう言って息絶えた。泣きたいのに、涙は出なかった。「お母さんについていきたい」という感情を、幼い弟を見て抑え込んだ。
2歳離れた弟と路上で物乞いをしていた時、中国人に声をかけられ、別々の家に預けられた。弟は間もなくして亡くなった。
王さんを預かった家の女性は夜…
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朝日新聞国際報道部