拡大する写真・図版 イラスト・ふくいのりこ

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 12月初旬に障害者週間(3~9日)があったことをご存じでしょうか。障害者差別の解消などを目的に、政府や行政で様々なイベントなどがありました。そこで本コラムも12月は2回にわたって、私が身の回りで経験してきた障害者差別解消法の光と影についてお伝えしようと思います。差別の解消が「義務」になった途端、色んなことがギクシャクしてしまうという、不思議な話です。

2016年に法施行、でも人ごと?

 障害者差別解消法(正式名称:障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律)は2016年4月に施行されました。内閣府によると、「全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に向け、障害を理由とする差別の解消を推進することを目的として」制定されています。平たく言うと、「障害のある人もない人も、互いに、その人らしさを認め合いながら、共に生きる社会をつくることを目指している」ということだそうです。

 と言っても、多くの人は、そんな法律が施行されたことすら知らないかもしれません。耳にしたことはあっても、よく分からない、自分には関係ないとひとごとに思っている人がほとんどなのではないでしょうか。でも実は、すべての人に関係のある話です。今は健康でも、近い将来、病気で身体が不自由になるかもしれない。明日、交通事故に遭うかもしれない。そして、誰もが老いを避けては通れません。

 障害者差別解消法の2本柱は、「不当な差別的取扱いの禁止」と「合理的配慮の提供」にあります。前者は、正当な理由なく、障害を理由として差別することを禁止しているもので、比較的わかりやすく感じます。

 それに対して後者は、障害のある人から、社会の中にあるバリアーを取り除くために何らかの対応を求められたときに、負担が重すぎない範囲で対応すること、という、あいまいな表現です。人によって解釈が異なり、線引きが難しくなりそうです。

 これらのことを、国・都道府県・市町村などの役所に対して「法的義務」、会社やお店などの事業者に対しては「努力義務」として、対応を求めています。本来の趣旨は「障害がある人もない人も、暮らしやすい社会にしたい」という、誰もが認識する価値観です。しかし、「義務」として掲げられると、困ったことが起き始めます。私の勤務先では、こんなことがありました。

大仰な対応にうんざり

 車椅子ユーザーの社員がいた場合、会議や研修などの会場で、出入り口付近の座席に、椅子をどかして席を確保するという行動は、一見、自然な対応に思えます。けれども、「しなければいけない」という義務感にとらわれすぎると配慮される側にとっては息苦しいことがあるのです。

例:複数日にある研修をどこかで1回受けなければいけないとき

(1)A日からB日へ変更したい

→椅子をどかすように伝達済みだから変更できません。

(2)直属の上司の指示で別の日に参加

→参加当日:○日って聞いているけど、今日なんですか!? と慌てはじめる。

数日後、当初の参加予定日:総務「椅子どかしているんですけど・・・?」

私「もう受けましたが・・・?」

 まるでコントのような話ですが、本当にあった出来事です。ただ単に、その場で椅子を移動する、席を代わってくれる、それでいいのです。たった、それだけのことなのに、どうしてこうも仰々しくなるのでしょうか不思議でなりませんでした。

配慮のつもりが、むちゃぶりに

 出張を割り振る際、無理がないようにと配慮してくれたらしいのだけれど、裏目に出てしまいました。

例:とある日の出張。ある条件に合致した銀行を、チームで手分けして回らなければいけない。

分担を考える人から言われた一言:「行けるところ(行けないところ)を全部教えてください」

 数ある銀行のバリアフリー状況をすべて把握している人がいるでしょうか? せいぜい取引のある銀行で、普段行く支店を知っているくらいのものです。「たぶん大抵の銀行は車いすでも大丈夫だと思うので、どこでも割り振っていただいて構いません」と伝えても、行ける確証がないなら留守番をするようにと言われる始末・・・。結局のところ、「全部調べろ」と言っているようなものです。

 これらのちぐはぐな対応は、障害者差別解消法が施行された途端に始まりました。私の勤務先は官公庁系のため、率先して取り組んでいるつもりなのでしょう。配慮しようという意図は理解できるけれど、受け手からしたら違和感しかありません。むしろ、腫れ物に触るような扱いに、疎外感さえ覚えます。普段は良好な関係が築けている(つもり)のに、それもうわべだけ取り繕っているのではないかと勘ぐりたくなるくらいに、むなしくなってしまいます。

 ひとつ言えるのは、どちらのケースも、配慮する側に悪気はなさそうだということです。きっと、本末転倒になっていることも、むちゃぶりをした自覚もないのだと思います。ただでさえあいまいな「合理的配慮」を過不足なく行うためには、どうしたいいのか。その仕組みづくりの過程であって、戸惑いながら試行錯誤している真っ最中なのでしょう。

コミュニケーションでハッピーに

 厚生労働省職業安定局の情報によると、障害者の雇用数は13年連続で過去最高を更新しているそうです。その一方で、法定雇用率を達成している民間企業は約50%。法定雇用率があるとはいえ、まだまだ、障害者と働いたことのある人は少ないのが現状です。ゆえに、どう接したらいいのだろう、どこまで仕事ができるのだろうかと、雇用する側が不安に思うのも無理はありません。けれども、探り探り接している様子は、必ず障害者に伝わっています。

 配慮する側とされる側の一方通行になりがちな中で、当たり前だけど、一人前として扱ってもらえたり、頼りにしてもらえたり、ときには誰かをフォローしたり・・・etc。障害を抜きにして、対等な関係を築けることがうれしく、何よりの潤滑剤だったりします。

 障害者差別解消法によって、法的に健常者との機会均等を図る意義は、とても大きなことです。しかしながら、過剰な配慮が増えたという点は、「影」ではないでしょうか。

 義務感に縛られ形骸的な対応になってしまっては、本質的には意味がありません。何を求められているのか、何ができて、何ができないのか。できないことは、どんな工夫でできるようになるのかなどなど、お互いが真っすぐに話し合うことさえできれば、仕組みなんてなくても、みんながハッピーになれるのかもしれません。何よりも重要なのは、法の趣旨を置き去りにしないコミュニケーションなのではないでしょうか。

<アピタル:彩夏の“みんなに笑顔を”>

http://www.asahi.com/apital/column/ayaka/(アピタル・樋口彩夏)

アピタル・樋口彩夏

アピタル・樋口彩夏(ひぐち・あやか)

1989年、東京生まれ。中学2年の時、骨盤にユーイング肉腫(小児がん)を発症。抗がん剤、重粒子線などの治療を経て、車いすでの生活に。「いつ、誰が、どんな病気や障害をもっても、笑顔で暮らせる日本にしたい!」を目標に日々、奮闘中。当事者の視点から建設的に伝えることをモットーに執筆・講演も行っている。