法隆寺(奈良県斑鳩町)の第129世住職・聖徳宗第6代管長で、10月に71歳で亡くなった大野玄妙(げんみょう)さんの本山葬が13日、法隆寺聖徳会館(同町)であった。奈良や京都の僧侶のほか、政治家や信者ら約600人が参列し、大野さんをしのんだ。

 大野さんは1947年、大阪市生まれ。57年に法隆寺に入り、執事長などを務めた後、99年に住職に就いた。49年の火災で焼損し、原則非公開だった金堂壁画の科学的総合調査に乗り出し、今年1月、一般公開すると明らかにしていた。

 本山葬は西大寺の大矢実圓(じつえん)長老が大導師を務めた。興福寺の多川俊映(しゅんえい)寺務老院(じむろういん)ら3人が弔辞を読んだ。

 大野さんと同い年の多川さんは「こんなに早くお別れするとは思ってもみなかった」と惜しんだ。金堂壁画の保存公開の取り組みに触れ、「新たなる視座を文化財の保存公開に投じられた」と意義を伝えた。そのうえで「(聖徳太子がつくった)十七条憲法を護持してきた。誠に太子のやっこなり」とたたえた。

 荒井正吾知事は「聖徳太子の和の精神を広めるため各地で講演した。謙虚さや優しさを備えることが日本人の精神文化の中心であることを広めた」と話した。奈良文化財研究所の元所長の鈴木嘉吉(かきち)さんは、大野さんが東日本大震災や熊本地震の被災地で法話をし、被災者に寄り添っていたことなどを紹介した。

 本山葬を終え、東大寺の狹川(さがわ)普文(ふもん)別当(住職)は「普段から怒った姿を見たことがなく、ずっと平和な状態のままという印象がある。ぼくの中でも心の整理がつかず、まだまだ薫陶を受けたかった」と語った。(岡田匠)