拡大する写真・図版 1964年9月21日、香川県の直島沖で海上の漁船からの歓迎にトーチを掲げて応える故・佐藤信哉さん。翌日の朝日新聞岡山版に掲載された

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 岡山県玉野市の宇野港と高松市の高松港を結ぶ宇高航路が、15日に109年の歴史に幕を下ろす。1964年の東京五輪では、フェリーが瀬戸内海を渡って岡山へ聖火を運んだ。東京五輪・パラリンピックを来年に控えたこのタイミングでの運航休止に、聖火リレーに関わった市民はひときわ寂しさを募らせている。

 聖火が高松港から海を渡った1964年9月21日の様子を翌22日の朝日新聞岡山版はこう伝える。本州と四国の間に瀬戸大橋がかかる前、宇高航路を24時間、フェリーが行き来した時代だ。

 《あいにく空はどんよりと鉛色の雲がたれこめていたが満船飾の「こんぴら丸」は、前夜の雨で洗われ、緑色が美しく目にしみる瀬戸内海の島々の間を船足も軽く一路宇野港へ》

 《午後零時二十五分ごろ、船が香川県直島へさしかかると、万国旗や大漁旗で美しく飾り日の丸の小旗を持った人たちを満載した船が二、三十隻「こんぴら丸」に近づき、よりそうようにしてついてくる》

 玉野高校3年だった斉藤(旧姓・金出地(かなでじ))信恵さん(72)=玉野市御崎2丁目=は、宇高国道フェリー(高松市)のこんぴら丸に乗り込んだ一人。テニス部の顧問の教師に突然指名され、「なぜ私が」と驚いたという。

 岡山県の第1走者を務め高松港で聖火を受け取ったのは、同級生でバスケット部だった佐藤信哉さん(故人)。斉藤さんはその後方を走る20人の随走者だった。配布された白の半袖シャツと短パン姿で出発、18キロの航路を約1時間かけ渡った。

 船上では他の随走者とお弁当を食べたり、おしゃべりをしたり。鮮明に覚えているのは香川県の直島付近で、大勢の少年らが島から手旗信号で歓迎してくれたことだ。「手旗信号の意味は分からなかったけど、胸が躍った。あの日は青春の一ページ」

 宇野港に到着後、リレー隊は数…

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