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 製版する時に光らせるランプが怖かった。インクを乾かすためにはがきを床じゅうに広げていた……。SNSどころか携帯電話もメールもない時代、年の瀬の家族の年賀状作りに、欠かせないものがあった。家庭向け印刷機「プリントゴッコ」。最近、めっきり見なくなったが、今も販売しているのだろうか。製造元の理想科学工業(東京都港区)を訪ねた。

当初は「知育玩具」

 発売は、1977年。創業者で社長だった羽山昇さん(2012年に87歳で死去)は当時、スクリーン状の版にごく小さな穴をあけてインクを通す「孔版印刷」に力を入れていた。印刷には、はんこのように出っ張った部分にインクをのせる「凸版印刷」、金属板の凹部分にインクをのせる「凹版印刷」、水と油の反発を利用した「オフセット印刷」などの方式があるが、羽山さんは、スピードとコストの面で「孔版」に利点があると確信していた。

 事業所向けの印刷機の製品化をめざす中で生まれたのが、同じ原理のプリントゴッコだ。「私たちは『ごっこ遊び』を通して社会のルールや生きる力を学んできた。ごっこ遊びこそ、知育の源泉だ」と、羽山さん自身が名付けた。

 そのため、発売当初は「知育玩具」の位置づけだった。社員が百貨店や文具店で実演販売を始めると、黒山の人だかりができ、納品するそばから売れていく。ランプを光らせて製版し、そこにあいた小さな穴からインクをすりつけて印刷する仕組み。コンパクトな本体を、製版と印刷の両方に使えるようにした。それまで芋版か文具店で売っているスタンプくらいしかなかったのが、オリジナルの凝ったデザインを手軽に印刷できるとあって、大ヒットした。

 生産が追いつかず、86年には新聞におわび広告を出した。1セット9800円という価格も受け入れられ、87年には年間72万台が売れた。その後も、インクの種類を増やしたり、重ね刷りに便利な「位置あわせ機能」をつけたりと改良を重ね、96年には累計販売数が1千万台を超えた。

 現在、広報を務める海老澤早苗さん(49)が93年に入社したときは、まだ全盛期だった。「先輩方からは『生産部門の社員も総出で店頭に立った』『必死で資材を調達した』など、発売当初の話をよく聞きました」と話す。年賀状向けのイラスト集を担当していた時には、年が明けるとすぐに次の干支のことを考える毎日だった、と振り返る。

 しかし、90年代半ば以降、通信環境が激変。インターネットや携帯電話が普及し、手紙をやりとりする機会が減った。年賀はがきの発行枚数も2004年分をピークに減少。他方、年賀状作りのツールはパソコンとプリンターに取って代わられ、日本でiPhoneが発売された08年に、プリントゴッコ本体の販売が終わった。12年には付属品も含め、34年間の事業を終了した。

 この間、同社はプリントゴッコのヒットでできた資金をもとに、1980年に事業所向けの孔版印刷機「リソグラフ」を完成。学校、官公庁、企業などから引き合いがあり、一気に海外展開も進めた。新たな印刷技術が生まれる中でも、1分間に190枚刷れる速さとコストの安さに強みがあり、約190カ国・地域で使われている。

■根強い再販…

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