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 北方領土問題をめぐり、突き進む政治家。コントロールしようとする官僚。クレムリンでの丁々発止のやりとり……。25日に外務省が公開した外交文書で、1988年にあった中曽根康弘前首相とゴルバチョフ・ソ連共産党書記長の会談の経緯が明らかになった。実際の現場はどんな雰囲気だったのか? 当時、外務省ソ連課長として会談に同席した東郷和彦・京都産業大教授(74)に聞いた。

訪ソ、つぶれるなら…

 ――会談があったのが1988年7月、中曽根氏は前年秋に首相を退任したばかりでした。当時の存在感はどういうものだったのでしょうか。

 すごかったですよ。5年間という長期政権を維持し、米国だけでなく中国、韓国とも首脳どうしの関係を築きました。後継者を自ら指名し、影響力が十分残っている状態で首相の座から退きました。

 中曽根氏がソ連を訪ねると知った当初、外務省内には警戒感がありました。外交は基本的に現職の首相、外相の下でやるべしという考え方に加え、「これまでの北方領土交渉と全く違うことをされたら困る」との懸念があった。会談を11日後にひかえた7月11日、ソ連課の名前でつくられた極秘文書にはこうあります。

 中曽根氏が北方領土問題の前進…

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