拡大する写真・図版独立賛成派の集会でフェンスに登り、クルディスタン地域政府(KRG)の旗を振る参加者=2017年9月、イラク北部アルビル、杉本康弘撮影

[PR]

 中東のニュースでその名を聞くことの多いクルド人。「国を持たない最大の民族」とも呼ばれる彼ら彼女らは、どんな人びとなのか。国家の思惑に翻弄されてきた歴史をひもときながら、現状を詳しく解説する。(高野裕介、其山史晃、杉崎慎弥

分断の始まりは第1次大戦

 シリア北部のクルド人地域に10月、隣国トルコが越境攻撃を仕掛け、国際的な注目を集めている。「国を持たない最大の民族」と呼ばれるクルド人は、100年に及ぶ苦難の歴史を歩んできた。

 クルド人は独自の言語と文化を持つ民族で、主にトルコ南東部、イラク北部、シリア北東部、イラン北西部にまたがる「クルディスタン」(クルドの土地・国)と呼ばれる一帯に居住している。クルド語にも方言があり、文字も共通しているわけではない。推定人口は約3千万人。ただ、各国では少数派で、差別や弾圧の対象になってきた。

 その起源については、古代メソポタミアの国家や、オリエントのメディア王国など諸説あり、定かではない。近代史を見ると、クルドの歴史はまさに「分断の歴史」だ。

 1916年、英仏がオスマン帝国が領有する中東地域を分割し、ロシアも加えた3国の勢力圏にすると決めた密約「サイクス・ピコ協定」が結ばれた。その後に変更を重ね、クルド人の居住地域の真ん中に国境線が引かれることになった。20年に、第1次大戦で敗れたオスマン帝国と連合国との間で結ばれたセーブル条約で、クルドの「国家」の構想が持ち上がった。だが、新生トルコと連合国が結んだ23年のローザンヌ条約で、構想はたち消えた。

 各国で少数派となるクルド人だが、一度だけ、独立国家を持ったことがある。46年1月、旧ソ連の支援により、イラン北西部マハーバードで「クルディスタン共和国」が建国された。しかし、旧ソ連は同地域から撤退し、後ろ盾を失った国家は1年も持たずに崩壊。大統領は処刑された。

拡大する写真・図版クルド人をめぐる主な出来事

 それ以降、クルド人は各国で分離独立運動や自治を求める動きを見せているが、今日まで民族の悲願とも言える国家の樹立には至っていない。山岳地帯に住み、部族意識が強いことから、まとまった運動に至らなかったことも要因の一つだ。さらに、周辺国や大国はそれを利用し、クルド人同士が対立することにもつながった。一方、イラクでは91年の湾岸戦争後、事実上の自治区が誕生していて、今回のトルコの攻撃でも1万人以上のシリアのクルド人が逃れてきている。

 クルド人の多くはイスラム教スンニ派で、他にシーア派やキリスト教徒などがいる。かつては山岳地帯で牧畜、丘陵地帯や平野部では農業で生計を立てていた。クルドの街を歩くと、ゆったりとした服に腰帯を締める民族衣装を着る人を今も多く見かける。

 歴史的に自らの土地を守る戦いを多く経験し、戦闘能力にたけているとも言われる。12世紀に十字軍を破って聖地エルサレムを奪還したサラディンはクルド人で、現在でもイスラム世界で英雄視されている。

 また、イラクとシリアにまたがる国土の3分の1を支配した過激派組織「イスラム国」(IS)との戦いでは、米軍主導の有志連合軍による支援を受け、地上戦を担って活躍した。

 日本にも、埼玉県蕨(わらび)…

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

980円で月300本まで有料記事を読めるお得なシンプルコースのお申し込みはこちら