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 「ご飯おかわりしてね。おなかいっぱい食べて」

 戸沢村にある韓国料理店「日韓ひろば」。客席15席の小さな店を切り盛りする大友淳浩(スンホ)さん(57)の明るい声が響く。「スンちゃん」の愛称で親しまれる大友さんとお客さんの笑い声が絶えない店の裏には大きなかめが置かれている。中に入っているのは、大友さんが漬けたキムチだ。

 韓国・ソウル出身の大友さんは1990年に、27歳で戸沢村の日本人男性と結婚した。今年で村に来て30年になる。

 80年代後半、村の課題は男性の結婚難だった。近隣の大蔵村や真室川町、朝日町などで役場が国際結婚の仲介を推し進めていたことから、村でも89年度に実施。この年、大友さん夫婦を含む10組ほどのカップルが誕生した。

 だが、当時の村で外国人は珍しく、お年寄りからは「(韓国で)生活できなかったの」などと尋ねられた。小学生が家をのぞきに来ることもあり、「動物園にいる動物のようでした」と振り返る。そんな地域の目がつらいこともあった。

 だが結婚後まもなく長女が生まれ、「これからも村で暮らすために、もっと村の人たちを知らないと」と考えた。思いついたのが「キムチ教室」だった。

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 キムチは朝鮮半島を代表する発酵食品。塩漬けした白菜や大根、キュウリなどの野菜に、唐辛子やニンニクなどを混ぜ込んだタレを練り込む。当時キムチは今ほど知られていなかった。

 大友さんが教室を持ちかけたところ、村の小学校が快諾。小学4年の児童らと白菜の収穫から始めた。真っ赤な唐辛子を見てはしゃぐ児童の姿に「仲良くなれる」と手応えをつかんだ。

 作り方を学んだ児童は家でもキムチを作った。それが評判になり、今度は村の大人たちが作り方を教わろうと、大友さんを訪ねてくるようになった。

 こうしてキムチ文化が村に広がり「戸沢流キムチ」は村の名物に。97年に韓国文化を楽しめる「道の駅とざわモモカミの里高麗館」が村内に完成。県内外から買い求める客が来るようになった。

 大友さんは高麗館で働いた後、10年ほど前に「草の根で日韓交流がしたい」と店を開いた。キムチ教室は現在も予約制で続け、県外から習いに来る人もいる。

 「キムチを通してできた人とのつながりが、私にとって一番の財産」と語る。

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 キムチ作りは外国から山形に来た女性の「居場所」にもなっている。

 韓国・全羅北道出身の芦原美江さん(55)は、「うめちゃんキムチ本舗」(鶴岡市)が高麗館に出す店でキムチの販売にあたる。

 93年、大蔵村で酪農を営む日本人男性と結婚。結婚生活は当初順調だったが、次第に家庭内で孤立するようになり、引きこもりがちに。心配した義母が社長の阿部梅子さん(59)を紹介し、7年前から同社で働いている。

 芦原さんは、同じように結婚を機に来日した女性もいる職場で仕事に打ち込む中で、持ち前の元気さを取り戻した。夫ら家族との関係も良くなり、「仕事も楽しく、売り上げに貢献したい」と話す。

 阿部さんもソウル出身で、91年に旧朝日村(現・鶴岡市)の日本人男性と結婚。得意の料理を生かし、キムチを製造、販売する同社を96年に立ち上げた。従業員は十数人。なるべく外国人女性を雇うようにしているのは、言葉や文化が異なる日本で暮らす苦労を知っているからこそだ。

 阿部さんは「従業員のためにできる限りのことはしたい。日本に来た先輩だから」と話す。(鷲田智憲)